■ セルジオに対する批判サッカー季刊誌の「サッカー批評」の最新号でサッカージャーナリストの木村元彦さんが「オシムが注いだ愛情」という文中、痛烈に日本サッカー協会会長とセルジオ越後氏を批判している。木村氏は、「オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える」というベストセラーを生み出しているオシム監督に近い人物である。
先号(36号)の本誌のセルジオ越後インタビューを読んで私は吐き気を覚えた。度し難いのはオシムの欧州時代の実績を把握せずにオシム解任論を唱え、「どこでどのクラブで何をしたっていうの?」と言い放つ傲慢さである。(略)
セルジオ氏は怠慢この上なく評価対象に対する知識を全く持たずに罵倒する。これは評論以前の問題であり、他ジャンルであれば評論家としての仕事を剥奪されるであろう。あるいはプロデューサーや編集者が諌めるだろう。しかし、日本のサッカーマスコミは逆張りの辛口評論家として持ち上げ、テレビや専門誌で流通してしまう。(略)
監督が倒れている中で他者の批判はしたくない。しかし、監督の名誉のために以上のことは署名原稿の中で記しておきたかった。
サッカー協会あるいはサッカー協会会長に対する批判は珍しくないが、メディアにおいて、セルジオ氏にこれほどの批判を浴びせた人は、過去にいなかっただろう。画期的なことといえる。
■ 辛口?逆張り?ここで、木村氏が「逆張り」と表現している点が興味深い。
確かにセルジオ氏の辛口発言が、日本サッカー界発展のための一助となっていた時代もあった。有名なのは、97年のフランスワールドカップ予選のエピソードである。再三の辛口発言に怒り心頭だった選手たちは、セルジオを見返すため、その発言をエネルギーに変えて戦い続けて、見事にフランス行きの切符を獲得したことがMF北澤豪らから語られている。
ほとんどの人が欧州や南米の最先端のサッカーを知らなかった時代は、「ものさし」をもつ彼の発言にも説得力があった。その功績は否定できない。
しかしながら、時代は大きく変わった。ここ最近の彼の発言は、日本サッカー発展のための一助となるどころか、逆に足かせになっているのではないかと感じる部分が少なくない。木村氏が語っているように、逆張り(批判のための批判)があからさまになってきている。
もちろん、すべての人がオシム代表に「マンセー」する必要はない。調整役も必要ではあるが、「辛口を求められているから」、あるいは、「大衆の興味を引くため」に、わざと「逆張り」のコメントをしているのであれば、これほど滑稽なことはない。
■ 無用なプレッシャーオシム監督が倒れた要因は定かではないが、メディアから受けた無用なプレッシャーがその一因であったことは間違いない。それが残念でならない。
例えば、長く日本に住んでいる人であれば、「また、セルジオが何か批判している!」、「セルジオは何を言っているんだ?!。」と軽く受け流すこともできるが、日本語が理解できずに、異国の地で戦うオシム監督が、そのセルジオ発言を少なからず真に受けてしまったことは、木村氏の文面から間違いないだろう。
もちろん、オシム監督もアジアカップの成績には満足はしていないだろうが、その仕事に対しては、自信を持っていたはずである。しかし、日本でもっとも高名な評論家の1人から、「解任論」を唱えられたとしたら、動揺せずにはいられないだろうし、心労になったことは想像できる。
コアなサッカーファンはともかく、ライト層にとって、セルジオ発言はそれなりの説得力をもつ。セルジオ氏の発言は、1人の意見にとどまらず、大きな影響力をもつ。オシム監督が、セルジオ発言を世論の流れと勘違いした可能性は否定できない。
■ セルジオ氏の真意セルジオ氏は、心の底では日本サッカーの願っていることは間違いない。アジアカップ04のときの喜び方を見る限り、彼が心底、日本サッカーを愛してくれていることは理解できる。
だが、それにしても、それだからこそ、この文章で、セルジオ氏を批判したい。
アジアカップ以後、「オシムは解任されるべき!」と唱えていたセルジオ氏は、オシム監督が退任して岡田ジャパンが発足したことを受けて、「これで日本代表が強くなる。」と、歓迎しているのだろうか?
■ 何のための辛口なのか?以前から、セルジオ氏は、「何故、下位に低迷するジェフ千葉の選手を優遇するのか。」、「何故、リーグ戦で点の取れないFW巻を選び続けるのか?」、「アジアカップで4位になったのは、オシム氏の力不足である。」と論じてきた。
どこまで本心だったのかは分からないが、本当にそう思っているのであれば、記者会見の場でもいいし、個別のインタビューの場でもいい。オシム監督に直接、提言・進言したのであろうか?そういう情報は全く伝わってこない。常に、一歩、引いたところから、影から、代表チームを非難してきた。
サッカーの本場である欧州のメディアも辛口であるといわれるが、彼らは、信念をもってチームあるいは監督、選手を批判している。記者会見の場で激しく両者が対立するシーンがよく見られるが、それはチームの発展を願ってのことである。だから、両者の関係は成り立っているのである。セルジオ氏は面と向かってオシム監督に持論を主張できただろうか?いや、できなかっただろう。
■ 不幸な結末代表監督にかかるプレッシャーは多大である。内容が悪ければ批判を受けて、結果が出なかったら批判を受ける。すべての人を満足することは不可能な職種である。
代表チームに対しては、あるときは批判も必要であろう。だが、その根底には必ず、「日本代表に強くなって欲しい」、「日本サッカーが発展して欲しい」という思いがなければならない。「歪んだ愛ゆえの批判」であったり、「盲目からの批判」、あるいは、「批判のための批判」であれば、百害あって一利なしである。
一部の夕刊紙や週刊誌が尊重されないのは、対立をあおるだけあおってそれっきりであるからである。世界のサッカー界は、日々進化を続けている。ドメスティックな足の引っ張り合いをしている暇はない。
見せ掛けだけの辛口はもう必要ないだろう。
セルジオ氏は、間違いなくサッカーを見る目があって、なおかつ、日本サッカーのことを思ってくれていると思う。だから、オシムジャパンがオシム監督によって、正しい方向に進んでいたことは、十分に理解できていたはずである。だが、辛口コメンテーターという立場が「逆張り」を求め、結果的にオシムジャパンを終焉させることにつながった。
だから、あえて言う。「オシムジャパン」を殺したのは「セルジオ越後」である。「岡田ジャパン」もそうならないことを切に願う。
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