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■ 契約満了のため西野監督は退任西野監督が就任して2年目となる名古屋はここまで12勝13敗7分けで勝ち点「43」。10位と不本意なシーズンになっている。就任1年目の2014年も10位と低調だったが、今シーズンもすでに「8位以下」が確定している。6年間指揮したストイコビッチ監督は3位(2008年)→9位(2009年)→1位(2010年)→2位(2011年)→7位(2012年)→11位(2013年)という成績だったことを考えると期待外れだったと言わざる得ない。
西野監督は今シーズン限りで退任することが決定している。名古屋は2013年のオフにMF田中隼とDF阿部翔とDF増川という初優勝の立役者となった中心選手を財政的な問題もあって放出。経験の少ないDF牟田やDF本多などをスタメン候補に格上げするという半ば強引に世代交代を進めたが、結果のみならず、内容も今一つの試合が多かった。高年俸だったと思われる西野監督の退任というのは致し方なしと言える。
注目された後任監督の候補には当初は外国人監督の名前が挙がっていたが、結局、元日本代表フォワードでOBの小倉隆史氏の監督就任が確実となっている。小倉氏は甲府時代の2005年に現役を引退。以後は主にTBS系列のサッカー解説者として活躍。2012年に日本サッカー協会の公認S級ライセンスを取得して今年の6月1日付けで古巣である名古屋のGM補佐としてスタッフ入り。監督としては初挑戦となる。
■ ギャンブル要素の高い監督人事であるが・・・。監督経験はもちろんのこと、指導者としての実績も皆無である。ギャンブル要素の高い監督人事であることは確かである。「知名度優先の人事だ。」と批判する人は少なくないが、名古屋という土地はある意味では独特である。周辺にライバルクラブがないため、愛知県内をほぼ独占できるという恵まれた環境であるが、一方でそこまでサッカー熱が盛んではないため、観客動員数などにつながらないジレンマがある。
ただ、「Jリーグにはあまり興味はないがグランパスには少し関心がある。」、「敢えて言うと好きなクラブはグランパス」という人は愛知県内にはたくさんいると思われる。周辺の人口等を考えると、いわゆる「ライト層の数」では名古屋はJリーグ屈指と考えられる。「ライト層に響くような人事」が必要になるときもある。(※岐阜県内にも「ライトなグランパスサポーター」はたくさんいると思われる。」)
42歳の小倉氏はJ1通算では166試合で34ゴール。J2通算では75試合で18ゴール。日本代表では5試合で1ゴール。数字だけを見るとストライカーとしてそれほど優れているわけではない。むしろ平凡である。10代や20代の若いサッカーファンは「何でこのくらいの実績なのに知名度が高いのか?」と不思議に感じると思うが、四日市中央工高時代の冬の選手権での活躍ぶりは観ている人に強烈なインパクトを残した。
■ 日本代表のエースになる選手だと多くの人が思ったが・・・。卒業後は名古屋入りを表明。Jリーグ開幕の前年となる1992年の秋に行われたナビスコカップでも活躍。その後、留学という形でオランダの2部リーグのエクセルシオールに期限付きで移籍して相当な活躍を見せた。2015年現在の日本のサッカーファンの感覚では「オランダの2部リーグで活躍した程度」では誰1人として驚かないが、20数年前と今(=2015年)では日本サッカー界の置かれた状況は全く異なる。
「高校サッカー界のスター選手がサッカーの強豪国であるオランダで活躍した。」というのはかなりのインパクトがあった。1994年の5月に名古屋に復帰。Jリーグデビューの直前にファルカンJAPANに招集されて日本代表デビューを果たすと、フランス代表との試合で代表初ゴールを記録。当時はJリーグブームの真っ只中だったので、オランダから凱旋帰国したFW小倉への期待と関心の高さは異常なほどだった。
ただ、正直なところ、帰国1年目の1994年はいいプレーが出来なかった。当時の名古屋には元イングランド代表のFWリネカーがいて、さらに2ndステージの開幕前にはFWストイコビッチも加入。名前だけを見ると超・豪華だったが、チームとしては全く機能していなかった。2ndステージは何と最下位。「浦和と並んでJリーグのお荷物」と言われたが、1995年にフランス人のベンゲル監督が就任すると雰囲気は一変する。
ベンゲル監督も当初は戸惑った。3月・4月は3勝9敗と低迷。「もう辞めたい。」と周囲に漏らしていたと言われているが、中断明けとなる17節からの14試合で13勝1敗。蘇ったFWストイコビッチを中心にFW小倉、MF平野、MF岡山といった若手アタッカーが躍動。急浮上して1stステージを4位で終えると、2ndステージは2位。ベンゲル監督は最優秀監督賞を受賞して、FWストイコビッチは最優秀選手に選ばれた。
22歳だったFW小倉は37試合で14ゴールを記録。年末年始に行われた天皇杯では準決勝の鹿島戦、決勝の広島戦でともに2ゴールの活躍。チームを初優勝に導く大活躍を見せたが、天皇杯のカップを掲げた約1か月後に悪夢が待っていた。アトランタ五輪のアジア最終予選直前に行われた合宿中にヘディングで着地をしたときに右足後十字靭帯を断裂。プレーヤーとしての絶頂期に長期離脱することになった。
アトランタ五輪の本大会の後に一時的に戦列に復帰したが、結局、最初に受けた手術は失敗だったと言われている。(1996年シーズン終了後に再手術を行うことになった。)1997年は全休で、1998年の前半戦も試合に出場することはできず。怪我からの早期回復を期待する一部のファンは「フランスW杯出場を果たした岡田ジャパン入り」を期待したが、ピッチに戻ってきたのはフランスW杯終了後のことだった。
■ 現役時代はある種のカリスマ性を持っていた小倉隆史氏「今以上に関心が高かった高校サッカー界のスター選手だったこと」、「帝京高校との伝説の決勝戦を含む冬の選手権での活躍が強烈なインパクトを残したこと」、「当時は非常に珍しかった海外組となってオランダ2部で活躍したこと」、「Jリーグデビューの前に日本代表に招集されてフランス代表からゴールを奪ったこと」がFW小倉という選手を語る上では外せない部分であるが、一種のカリスマ性を持った選手だった。
アトランタ五輪代表チームの監督だった西野監督はエクセルシオールで活躍していたFW小倉の下に足を運んで五輪代表入りと日本復帰(=名古屋復帰)を要請したという話も伝わってきている。現場の責任者として怪我をさせてしまったことに対する後悔の念もあって、西野監督と小倉氏には単なる監督と選手を超えたつながりがある。西野監督の退任を受けて名古屋の監督に就任する見込みというのも縁を感じる。
例えば日本人監督としてトップクラスの実績がある森保監督(広島)や長谷川監督(G大阪)を招聘できたとしてもライトなグランパスファンに目を向けてもらうのは難しい。先のとおり、名古屋という地域がある意味では特殊なサッカー環境であることも今回の監督人事には大きく影響していると思うが、特に30代後半から50代前後のライトなグランパスファンに訴えるには打ってつけの人物と言えるのは確かである。
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名古屋グランパスの小倉隆史監督が失敗するとは言い切れないいくつかの理由 (後編) に続く。
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