→
「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上) の続き。
■ 孤独な戦いが続く・・・FW我那覇を金銭的にバックアップしようとしたJリーグ選手協会の会長の藤田俊哉、元Jリーガーで国会議員となって国会の場で本件を取り上げた友近聡朗(元愛媛FC)、FW我那覇のことを気にかけていたチームメイトの川島永嗣らの存在は大きな助けになったと思うが、川崎Fというクラブ(特に上層部)は全く協力的ではなかったという。本を読んだ人の多くは「クラブの対応はちょっと・・・。」、「さすがに酷すぎる。」という感想を持つだろう。
本を読む前は1,000万円という罰金を科せられた川崎Fも被害者かと思っていたが、そういうわけではなかったようだ。最初の事情聴取のとき、一連のやり取りがあった後、川崎Fの武田社長が『今回の件については、クラブとしての認識が甘かった。その点については反省をし、今後、このようなことが無いように対応したい。』と自分たちに非をあることを認めるような発言をして、これによって、その後、説明をしても「言い訳」ととられるような流れが出来てしまった。
クラブには「この騒動を早く終わらせたい。」という思いがあって、さらには、「Jリーグの上層部には逆らえない。」という意識があったのではないかと説明されているが、本来は名誉を傷つけられたFW我那覇やチームドクター(=この騒動によって職を失った。)を守るべき立場にあるクラブがバックアップしてくれるのではなくて、むしろ、「Jリーグ側」であるかのようなポジションを取ったので、FW我那覇とチームドクターは、孤独な戦いを強いられることになる。
当時の鬼武チェアマンはもちろんのこと、DC委員会の青木委員長でさえ、医療に関する知識が十分ではなかったと何度も書かれているので、全くの無実の人に罪をかぶせることになった要因が、この人たちにあるのは確実だと思うが、その一方で、最初の段階でクラブがきちんとした説明をしていたら、ここまで話がこじれるようなことはなかったと思う。したがって、「川崎Fというクラブは完全な被害者である。」とは言い切れない。
■ ドクターたちの奮闘ぶり処分が下されて、おさまったかのように思えた騒動だったが、「待った。」をかけたのは、Jリーグの各クラブのドクターである。先生たちの頑張りがなければ、「FW我那覇は冤罪だった。」と言われることはなかっただろう。私利私欲のためではなくて、FW我那覇という選手やJリーグでプレーする全ての選手を守るために立ち上がったドクターたちの奮闘ぶりというのは、ほとんどメディアでは報じられていないので、特に興味を惹かれた部分である。
中心になったのは、浦和レッズのドクターの二賀定雄先生である。川崎Fの選手であるFW我那覇とは全く面識がなかったが、『裁定は間違っていると分かっている自分が、このまま黙認していいのか?』と自問自答した末、きちんとした説明をほとんど受けていないFW我那覇に真実を知らせるために等々力競技場で行われた川崎Fと浦和の試合の後、私的に本人に手紙を渡して、FW我那覇をサポートすることを決断する。
5月8日に処分が下された後、「おかしいだろう。」と思っていた各クラブのドクターたちは何度も処分撤回を求めたが、クラブや本人が裁定のやり直しを求めることがなかったので、なかなか話が進まなかった。しかしながら、11月7日に川崎Fのドクターで当事者の後藤先生が日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に申し立てを行って、川崎Fがクラブとしてどう対応するのかを公表する前日の11月11日に二賀先生からFW我那覇に手紙が渡ったことで話は大きく動いていく。
このあたりの裏側の戦いというのは、サッカーにほとんど興味の無い人でも引き寄せられる部分だと思うが、FW我那覇自身が「真実を知りたい。」とリスク覚悟で立ち上がることを決意した。最終的には、スイスにあるスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴して、「無実だった。」ということが証明される。「1000対0の勝利だった。」、「圧勝、完勝、パーフェクトな勝利だった。」と文中では記述されているが、これによって全く非が無いことが認められた。
FW我那覇側の大勝利と言えるが、ちなみに、CASへの提訴でかかった費用は3441万2268円だったと記されている。鬼武チェアマンは否定しているが、これだけの多額の費用がかかるので、「FW我那覇側がCASに提訴することはないだろう。」とJリーグ側が考えていた可能性はある。このときのFW我那覇の年俸は、相場を考えると、2,000万円から3,000万円程度だったと推測できるので、日本代表クラスの選手と言えども、簡単に払えるような額ではない。
■ 謝罪しなければならない人たちということで、CASによって「冤罪であること」が証明されたので、全くの無実であるFW我那覇とチームドクターに濡れ衣をかぶせたことを謝罪しなければならない立場の人が何人かいるが、Jリーグのトップだった鬼武チェアマンは「CASは正当な医療行為か否かを判断していない。」、「ドーピング違反があったという認定そのものが否定されたわけではない。」と記者会見でコメントして、川崎Fが支払った制裁金(1000万円)を返還しない意向を示した。
もちろん、文中では、鬼武チェアマンやDC委員会の青木委員長に対して、ネガティブなイメージを植え付けるために、ちょっとした脚色が施されているところがあるとは思うが、鬼武チェアマンはけん責処分が下されただけだった。すでにチェアマンは退任しているが、我那覇騒動に対して、ほとんど責任を問われることもなく、ほとんど批判されることもなく、今でもサッカー界に携わっていることに関しては、いかがなものか?と感じる。
現在、FW我那覇は3部リーグに相当するJFLのFC琉球でプレーしている。33歳になったので、そろそろ「現役を退く。」という選択肢が頭に入ってくる年齢に入っている。引退後は、指導者であったり、解説者という道も考えていると思うが、やはり、「我那覇騒動」というのは、彼が現役でプレーしているうちに、きちんと解決しなければならない問題だと思う。うやむやになったままではダメである。
それなりにJリーグやサッカー界の事情に精通している人であっても、「我那覇騒動は本人にも問題があった。」と考えている人は少なくないと思うが、これまでに記述した通りである。コンディションを崩して、点滴を受けただけで、これだけ金銭的な負担を強いられて、かつ、精神的に追い込まれて、しかも、今だに「ドーピング違反を犯した選手」という白い目で見られることもあるという。こんなに理不尽で、こんなに馬鹿な話はない。
文中では、FW我那覇の人間性についても触れられている。「争いを好まない性格」で、騒動に巻き込まれたときも、「Jリーグやクラブがきちんと解決してくれる。」という思いがあって、自分から強く主張することはなかった。クラブの関係者から、「ガナが悪質な違反をするようなやつじゃないことは皆、知っているから、済んだことは済んだことにして。」と言われると曖昧にうなづくしかなかったと言う。ただ、思い通りに話は進まなかった。
「制裁金の1000万を川崎Fに返却すべき。」という意見もある。正直なところ、川崎Fの上層部の対応は最悪に近いので、そういう人たちには嫌悪感もあるが、川崎Fに1000万を返却することを決めたならば、FW我那覇とチームドクターの名誉はかなり回復されると思う。Jリーグにとっては、蒸し返されたくない話であり、終わった話なのかもしれないが、どう考えてもJリーグ側が悪い。真摯に反省して、出来る限りのことをしなければならないだろう。
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上)
2013/11/23 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (下)
関連エントリー
2006/10/06 オシムジャパン トータルフットボール論に関して
2007/12/16 オシムジャパンを殺したのはセルジオ越後か?
2008/02/19 イビチャ・オシム監督がPK戦を見ることができなかった尊い理由
2013/11/13 【JFL:佐川印刷×FC琉球】 33歳になった元日本代表・我那覇和樹 (生観戦記・上)
2013/11/13 【JFL:佐川印刷×FC琉球】 33歳になった元日本代表・我那覇和樹 (生観戦記・下)
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上)
2013/11/21 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (下)
- 関連記事
-