■ 第72回の天皇杯の決勝戦今シーズンのJリーグは全日程が終了して、オフシーズンに突入しているが、このたび、録画してあった第72回の天皇杯の決勝戦を観た。かなり前(2年ほど前)にBS1で放送されたもので、確認せずに、そのままになっていたものを、少し時間があったので、フルで観戦した。
時は、1993年の1月1日。前年の10月~11月にかけて開催されたアジアカップを制覇し、3ヶ月後には、アメリカW杯のアジア予選がスタートし、4か月後には、待望のプロサッカーリーグがスタートする。そういうことで、サッカー界にとっては、激動の時代であり、大事な1993年のスタートの試合である。
決勝のカードは、読売ヴェルディと日産FC横浜マリノスという黄金カードだった。結果はご承知のとおり、延長戦の末、日産が2対1で勝利して、2連覇を達成しするが、「名勝負」と題してNHKがピックアップしただけあって、白熱の展開となった。
先制したのは日産で、後半29分にMF木村のクロスを起点に、こぼれ球を拾ったMF水沼がボレーシュートを決めて日産が先制するが、後半の終了間際にFW三浦知のクロスからDF中村忠がヘディングシュートを決めて読売が1対1の同点に追いついて試合は延長戦に突入。そして、延長戦の前半にCKから日本代表のFW神野がヘディングシュートを決めて2対1で日産が勝利した。
両チームは、4か月後のJリーグの開幕戦でも対戦しているが、当時、日産は読売に対して相性が良くて、「15試合無敗」を続けていたという。5月15日の開幕戦でも、マリノスが2対1で勝利しているが、力が拮抗している2チームの対戦で、ここまで一方的になるというのは、珍しいと言えるのではないか。
■ 「おっ!?」と思うこと先のとおり、1993年1月1日に行われた試合なので、ほぼ20年前の出来事である。そのため、今の感覚で観ていると、「おっ!?」と思うことがいくつかある。小さい話では、
・清水秀彦監督が若い。松木コーチも若い。
・スタンドには2002年のW杯招致の看板が掲げられている。
・ボランチという呼び名ではなくて、ディフェンシブハーフと呼んでいる。
・岡田正義さんが副審を務めている。
・ズボンが短くて、ピチピチである。
・チアホーンが使われている。チャントなどは、ほとんど聞こえてこない。
・ロスタイム表示はなし。
・試合の前半に観客動員数が発表される。
といったものであるが、もっと大きな話になると、
・GKへのバックパス禁止になって、間もないため、ギクシャクしたところがある。
・クラブ名が統一されていない。
の2点を挙げることができる。キーパーへのバックパスが禁止になったのは、前年の1992年であり、それ以前に見られた「前にパスを出せないのでキーパーに下げてキーパーがボールをキャッチしてから攻撃をやり直す。」というシーンは、当然のことながら、見られない。
しかし、自陣の奥深くでスローインを得たとき、今であれば、相手のチームがプレッシャーをかけてくるので、簡単にクリアするだけになることが多いが、バックパスが可能だった時代の名残があるのか、前からプレスをかけてこないケースが多くて、スローインで簡単にキーパーに投げて、プレーが再開するケースが多い。
もちろん、このとき、キーパーは手でボールを扱うことはできないが、スローインになると相手チームは下がって守備の組織を作ろうとするのは、キーパーはフリーの状態である。そのため、自陣の奥深くであっても、マイボールのスローインを獲得できれば、「相手の攻撃は終了」となるので、今のサッカーとは、かなり異なる。
チーム名に関しては、どう呼べばいいのか、アナウンサー(野瀬アナ)も解説者(田島氏)も迷っているようで、「読売ヴェルディ」と呼んだり、「ヴェルディ」と呼んだり、「読売」と呼んだり、「日産」と呼んだり、「マリノス」と呼んだり、まちまちである。ただ、「川崎」あるいは「横浜」と呼ぶことはなかったように思う。話の流れで、三菱浦和レッズのことを「レッドダイヤモンズ」と呼んでいることも、新鮮に感じた。
■ スタイルやレベルの差は?肝心のサッカースタイルや競技レベルに関しては、今と比べても、大きな違いは感じなかった。ヨハン・クライフ率いるオランダ代表の試合を除くと、今、70年代あるいは80年代の試合を観ると「ゆったり感」を感じて、今のサッカーとは、「全くの別物」という感想を持つが、1993年と2012年のサッカーにそこまでの差は感じない。
日産の10番は木村和司で、このとき34歳なので、晩年である。「クラシックなゲームメーカー」という印象もあるが、意外と運動量もあって、意外と守備でも貢献している。一方、読売の10番のラモス瑠偉は、このとき35歳。彼は40歳近くになっても、タフに走り回っていた印象が強いので、予想できたことであるが、この試合でも、走り回って、攻撃においても、守備においても、クオリティは高かった。
この試合は、日産のエバートンも精力的な動きを見せた。彼も33歳なので、ベテランの域に入っていたが、運動量が豊富で攻守の要となった。「現代サッカーと比較すると動きの量と質の差が大きいかも・・・。」と思いながら、試合を観始めたが、その点はあまり気にならなかった。
その一方で、少し違いを感じたのは、FW三浦知、MFラモス瑠偉、MF木村など、攻撃の中心となる選手がボールを受けるために下がってくるケースが多いことである。FW三浦知は、ボランチのところまで下がってくることが多かったが、当時のサッカーは、その位置まで下がってくると、相手のプレッシャーが弱くなるので、そこから、FW三浦知がドリブルを開始するシーンが何度もあった。
こういうプレーというのは、最近のサッカーでは、あまり観ないので、新鮮に感じたが、全体のレベルはかなり高くて、満員に埋まった国立競技場の盛り上がりも相当である。今の日本代表は、「史上最強」とも言われているが、日本サッカーは、一歩一歩、階段を上がってきて、先人たちの築いた土台の上で成り立っているということを、昔の試合を観ると、改めて感じる。
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