2012/11/09
家本政明レフェリーについて考える。 (上) 2012/11/10
家本政明レフェリーについて考える。 (下)
■ 「主審告白」SRの家本政明氏について考えるために、「主審告白」という本を購入した。家本氏が(著)で、岡田康宏氏が構成を担当しており、家本氏が話したことを岡田康宏氏が第3者的な立場からまとめるという形になっている。2010年8月12日に発行されているので、約2年前に発売された本である。
家本レフェリーというと、一般的には、評価の低いレフェリーである。本人も、そのことを自覚しており、「もっとも嫌われているレフェリー」と呼ばれることもあるが、友人の1人は、常々、「家本を評価していないのはにわかファンだけだ。」と憤慨している。
「にわか」という表現は言い過ぎだと思うが、J1とJ2を含めると、個人的には、家本レフェリーよりも、問題を抱えているレフェリーは、何人もいると思うし、また、いつまでも、家本レフェリーが「問題のあるレフェリー」と扱われることに対して、疑問を感じるところもある。このあたりのモヤモヤ感が払しょくされることを期待して、本書を手に取った。
■ 大きな問題となったゼロックスまず、本書の中で、家本氏は、「2008年3月のゼロックスと、そのあとの無期限の割り当て停止が大きな転機になった。」と語っている。相当につらい経験だったようで、『もう辞めるつもりだったんです、正直なところ。もういいって、サッカー界にいたくないってと思った。』とも語っている。
この試合は、退場者が3名で、警告が11枚で、PKでのやり直しが2回という大荒れの試合となって、試合後に、鹿島サポーターがピッチに乱入するという事件も起きた。大きなニュースとなったので、結局、松崎審判委員長は、「1つ1つの判定は間違っていない。」と評価はしたが、「十分に試合をコントロールできず、選手の信頼を得られなかった。」として、家本レフェリーには、無期限の割り当て停止処分が下された。
特に、PK戦で鹿島のGK曽ヶ端がPKをストップしたにも関わらず、やり直しになったシーンは、勝敗の行方を大きく左右する判定だったので、鹿島のサポーターには、納得しがたいジャッジだったが、家本氏は、「何度もGKには、『早く動くと止めてもやり直しだよ。』と伝えたにも関わらず、守ってもらえなかった。」と、当時のことを振り返っている。
このあたりは、スタンドで観ているサポーターにも、テレビで観ているサポーターにも、当事者以外の選手にも、伝わらないところであり、外野からレフェリーを評価することの難しさを改めて感じるエピソードと言える。
※1 このとき、鹿島のMF小笠原は、家本レフェリーからPKがやり直しになった理由を聞かされて、理解を示して、憤慨している仲間やスタッフと家本レフェリーの間に入って制止して、落ち着かせてくれたという。家本氏は、『「本当にありがとう。」と彼には、心から敬意を表します。』と語っている。■ 自らのスタイル第1章は「挫折と成長/支えてくれた人」というタイトルで、ゼロックスのことや、その後の無期限の割り当て停止中のことや、そのときに支えてくれた人の話が中心となっているが、大学を卒業した後、京都サンガのスタッフとして8年~9年程度、働いていたという話は、初めて知った。
そのため、京都サンガの試合でレフェリーを担当することはできないというが、SRという立場まで駆け上がった人物なので、大学を卒業した後は、トップレフェリーになるために、レフェリーの仕事がメインで経験を積んできた人かと思っていたが、そういうわけではなかった。むしろ、いろいろな経験を積んできている。
第2章は、「自らのスタイルを確立する」というタイトルになっているが、この本を読む限り、相当にクレバーな人である。レフェリーという職業は、どちらかというと、鈍感な人の方が向いているのかなと思っているが、家本氏は、解剖学、物理学、運動学などなど、「○○学」に関する知識が豊富で、意欲的な人である。
走り方であったり、止まり方であったり、人間の動作に関する知識も豊富で、文中の1/3程度は、そういった話がメインになっている。勉強熱心であり、知識欲も人一倍強くて、「普通の人ではないな・・・。」と感じる。(レフェリーよりも、向いている職業があって、もっと大きなことができる人なのではないか・・・という気もする。)
■ 挫折を乗り越えて・・・本人も語っているが、「正義感の強さ」というのが、レフェリーをする上で、邪魔をしたところは否定できない。「若かった。」という理由もあるが、2006年や2007年あたりの家本レフェリーは、「ルールを守ること。」に対する意識が強くなりすぎて、試合をコントロールできないことがあった。
本人は、お休みの期間にいろいろな経験をしたことで、吹っ切れたという趣旨のことを語っているが、レフェリーにとって、人間的な大きさというのも重要な要素であり、試練を乗り越えたことで、人間として、大きくなったと言えるのではないだろうか。
先の友人の話につながってくるが、復帰後の家本氏は、以前と変わっており、試合を壊すようなことは少なくなった。笑顔で選手に語りかけるようなシーンも増えており、国際レフェリーとして、重要な試合を任されることもあるという。「ゼロックス前とゼロックス後の家本は別人である。」と言う人も少なくない。
※2 日本サッカー協会のアラン・ウィルキー氏は、「いちばん、ヨーロピアンだ。」と言う理由で家本レフェリーを評価しているという。レフェリーとしての務めを理解しているという部分が、評価されているらしい。■ 挽回するチャンス年間で、Jリーグの試合を何十試合も、何百試合も観ている人と、それ以外の人で評価が変わってくるのは、仕方がないが、依然として、家本レフェリーの評価が低いのは、「挽回するチャンスが無い。」という要素も大きくて、この点は、今のサッカー界の大きな問題だと思う。
レフェリーも人間なので、誤審が発生することはあるが、一度、致命的なミスジャッジを犯したレフェリーは、ずっとそのことを指摘されてしまう。選手や監督は挽回するチャンスが与えられるが、レフェリーには、挽回するチャンスは用意されていない。
例えば、誤審があった場合、メディアが大きく取り上げることはあるが、素晴らしいレフェリングがあったとしても、クローズアップされることはない。ヒドイときには、誤審でないにも関わらず、選手の意見が一方的に報じられて、レフェリーが批判されるときもある。これでは、完全に減点方式であり、試合を重ねれば重ねるだけ、世間一般の評価は下がってしまう。理不尽な世界である。
試合後に、選手や監督にスポットライトを当たるのは当たり前であり、ポジティブなニュースで家本氏がスポーツ新聞に取り上げられるチャンスはこれからもないと思うが、レフェリーのパフォーマンスを正しく評価できる人が増えてこないと、日本人のレフェリーの技術は上がってこないだろう。
※3 レフェリーもミスを犯すことはあるので、ミスを認める部分も必要だと、家本氏は語っている。ミスを認めるべきところは認めてしまって、選手たちとより良い関係を築く方が大事なのではないかという。 →
家本政明レフェリーについて考える。 (下) に続く。
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