■ 16歳の輝き躓いたり、転んだりしたことが原因で、道から大きく外れた選手が、カムバックを果たすケースは、それほど多くはない。2006年の秋に行われたU-16アジア選手権で、日本代表チームを12年ぶりのアジアチャンピオンに導いて、将来を嘱望される存在の1人となったが、所属クラブでは、思うような活躍ができないままであった。
同期入団で、1学年違いになる香川真司とは、常に比較されてきたが、光と影の関係で、ここ数年は、影の部分として扱われることが多かった。ともに、試合に出場するようになった2007年以降、記憶している限りでは、MF香川よりも、FW柿谷がサッカー選手として「格上」だったことはないと思うが、当初の期待度ならびに知名度は、FW柿谷の方がはるかに上であった。
確かに、U-16アジア選手権の活躍は圧倒的であり、とてつもない才能を感じさせたが、一方で、無駄に美化されてしまったところもある。ここから数年間は、あのときのままのイメージで、今、現在の、彼のことを理解していない人に褒め称えられて、「将来の日本代表の中心選手」と祭り上げられたが、これが、ギャップを生み出したように思う。
メディアは、自分のことをスター扱いするが、所属クラブではレギュラーポジションを確保できず、試合に出場しても、結果を出すことが出来ない。18歳や19歳の頃のFW柿谷の生活は、今では考えられないほど、荒れていたというが、責任の一旦は、無責任に天才扱いしたメディアにもあると思う。スターシステムの被害者というと、前園真聖の名前が挙がることが多いが、柿谷曜一朗という選手も、その1人と言える。
■ クルピ監督との関係2009年のシーズン途中に、C大阪から徳島ヴォルティスにレンタル移籍することになった。少し前のファジアーノ岡山戦で、MF香川やMF乾が不在だったこともあって、久々にスタメンのチャンスを得ると、シーズン初ゴールを含む2ゴールを挙げる活躍を見せて、チームを勝利に導いた。しかしながら、その直後に、「この年、6度目の遅刻をした。」という理由でクラブから愛想を尽かされる形になった。
「クルピ監督に干された。」、「仲が良くない。」と言われることもあるが、完全な誤解である。クルピ監督ほど、FW柿谷の才能を高く評価している指導者はおらず、最後まで信じ続けた1人でもある。2007年と2008年の途中までは、結果が出なくても、我慢強く、FW柿谷を起用した。
2007年は21試合で2ゴール、2008年は24試合でノーゴール。天才と言われた選手にしては、寂しすぎる成績であるが、2008年の6月末に、横浜FMからMF乾がやって来るまでは、チャンスは与えられた。「伸び悩んでいるのではないか?」、「チームに貢献できていないのではないか?」という声は大きくなっていたが、クルピ監督が信念を曲げることはなかった。
■ 転機となったレンタル移籍結局、2009年の途中から2011年まで、2年間半、J2の徳島ヴォルティスでプレーしたが、ここで得たものは、大きかった。C大阪のときは、失ったボールをスライディングタックルで奪い返そうとするプレーなどは、全く見られなかったが、新天地では、泥臭い仕事もこなすようになった。
改心の助けになったのは、美濃部監督であったり、ベテランのMF倉貫だったと言われているが、徳島というJ1昇格を狙うチームで重要なポジションを与えられたことが責任感を生み出して、それ以前に、頻繁に見られた無責任なプレーはほとんどなくなった。
イマジネーション溢れるプレーが彼の最大の魅力だったので、徳島でのプレーを見て、「おとなしくなった。」、「普通の選手になってしまった。」と残念に思った人もゼロではなかった。この2年半で、アタッカーとして大きな飛躍を遂げたわけではなかったが、人間的な部分で大きく成長して、大阪の地に戻ってきた。C大阪のサポーターの誰もが、待ちわびた帰還であった。
■ トラップの美しさシーズン前から、フル代表と五輪代表を兼任するMF清武とMFキム・ボギョンに関しては、「五輪後に欧州に移籍する。」と考えられていたので、夏以降は、FW柿谷がチームの中心になると考えられていたが、徳島での2年半で残した成績は、97試合で14ゴールだった。
数字だけを見ると、平凡なものなので、「本当に大丈夫なのか・・・。」と感じる人も少なくなかったが、J1初ゴールを挙げた5月12日の清水戦以降に限定すると、リーグ戦は16試合で10ゴール。ナビスコカップは5試合で5ゴールなので、合わせると、21試合で15ゴール。驚異的なペースでゴールを量産している。
もともと、類希な得点センスを持った選手であったが、ゴールを狙う意識が高くなって、危険度が増した。もちろん、ファンタジスタの要素も失われておらず、数試合に1度は「天才」としか表現できない驚きのシーンを生み出すが、言うまでもなく、攻撃的なポジションの選手に要求されるのは、ゴールやアシストといった分かりやすい結果である。試合中に高度なテクニックを披露して満足するような柿谷曜一朗は、そこにはいなかった。
技術的な部分では、何よりもトラップの巧さが、際立っている。もちろん、絶え間ない努力が生み出したものだと思うが、一方で、普通の選手では、どんなに頑張って練習しても、とうてい、真似できないレベルである。これほど柔らかいトラップができる選手は、日本人では思い浮かばないし、トラップに芸術性も求めるのであれば、「世界でもトップレベル」と言っても言い過ぎではない。
■ 人を惹きつけるプレーセルジオ・ソアレス監督の下、残留争いに巻き込まれていたC大阪は、8月26日に電撃的にクルピ監督がチームに復帰すると、その後の5試合で4勝1敗の成績を残して、あっという間に、J1残留に必要な勝ち点とされる「38」に到達した。今シーズンは、力のあるチームが下位にいることもあって、「38」のままでは、残留することはできないと思うが、「残り6試合で1勝もできない。」とは考えにくいので、「残留はほぼ確実」と言えるところまで、浮上した。
当然、FW柿谷の活躍によるところは大きい。24節の新潟戦は後半36分に決勝ゴールをマークし、26節の清水戦も勝ち越しゴールを決めて、27節の神戸戦は同点アシストを記録し、28節の鳥栖戦は2ゴールを挙げる活躍を見せた。クルピ監督が戻ってからは、5試合で4ゴール1アシスト。その勢いはとどまることを知らない。
ここ最近は、メディアに取り上げられる機会も増えているが、海外組でもなくて、日本代表歴もなくて、ロンドン五輪代表の候補にすら選ばれなかった選手であることを考えると、異例ともいえる注目度の高さである。リーグ戦は25試合に出場して10ゴールを挙げているが、同じくらいの成績を残している選手は何人かいるので、「騒がれ過ぎではないか?」と感じる人もいると思うが、これほど人を惹きつける魅力的なプレーができる選手というのは、なかなかいない。
C大阪のサポーターに話を聞くと、「彼は特別である。」という。何しろ、4歳の頃から、C大阪で育ってきた秘蔵っ子であり、期待して、期待して、裏切られて、チームに戻ってきて、そして、この活躍である。「手のかかる子ほど可愛い。」という言葉が、これほど当てはまるケースもないだろう。浮き沈みのある、何ともドラマチックなサッカー人生は、この先、いったい、どこにつながっていくのだろうか。
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