■ 連勝スタートオマーンを3対0、ヨルダンを6対0で下して、アジア最終予選は連勝スタートとなったザックジャパン。ホームで2連戦スタートということで、日程に恵まれたところもあるが、鬼門とされていた最終予選の2試合目もクリアし、2節を終えて、グループ首位に立った。他の4チームは、すべて勝ち点「1」なので、早くも、2位以下のチームと勝ち点「5」差となって、独走態勢に入りつつある。
この圧勝劇を見ると、「日本代表史上最強のチームではないか?」という声が出てくるのも必然である。とにかく、選手たちの所属の豪華さは、過去に無いレベルで、しかも、ほとんどの選手は、所属しているだけでなくて、チームの中心として、ポジションを確保している。数年前のオーストラリアのメンバーも豪華だったが、層の厚さでは、今の日本代表が大きく上回っており、アジアレベルを超越した存在になりつつある。
日本代表に限らず、アジアの人には、欧州サッカーへの強い憧れの気持ちがあるので、欧州の国や選手を過大評価しがちである。実際には、同じようなレベルでも、欧州の中堅クラブに必要以上に敬意を払って、苦戦して来た歴史もある。しかしながら、今の日本代表は、そういったコンプレックスもなく、たとえ、スペインやドイツやイタリアと対戦しても、気後れすることはないだろう。
南アフリカW杯の前は、海外組は、MF長谷部、MF松井、FW森本ら数名だけで、「海外組:冬の時代」を迎えたが、2年弱で、ここまでになるとは、誰も想像できなかった。Jリーグが誕生してから20年が経過して、地道に強化してきたことが、一気に花開いたと言えるだろう。
■ 史上最強と言われたチームこれまで、「史上最強の日本代表チーム」と言われてきたのは、2000年のレバノン・アジアカップで優勝したチームで、「脱・アジアを果たした。」と、アジア中から称賛された。この大会には、MF中田英が参加しなかったので、MF名波、MF中村俊の二人が攻撃の中心となったが、予選リーグでサウジアラビアに4対1、ウズベキスタンに8対1で圧勝するなど、次元を超えた破壊力を持っていた。
当然のようにグループリーグを勝ち抜いて、決勝トーナメントに進出したが、そこでも、イラクに4対1、中国に3対2で勝利して、決勝に進出した。決勝こそ、再戦となったサウジアラビアに苦戦したが、MF望月のゴールを守って、1対0で勝利し、見事に2度目のアジア制覇を成し遂げた。トップ下のMF森島、2トップのFW高原とFW西澤も期待どおりにゴールに絡むプレーを見せて、「どこから点が獲れる。」というチームが完成して、結局、6試合で21ゴールをマークした。
残念だったのは、半年後、サンドニでフランス代表に0対5で敗れたことで、「現実路線」にシフトチェンジせざる得なくなった点である。クラッシャーのMF戸田、献身的なFW鈴木隆を抜擢するなど、戦える選手を増やしていったので、「負けにくいチーム」となったが、2001年・2002年のサッカーは、アジアカップのときほど、魅力的ではなかった。日韓W杯でのグループリーグ突破が至上命題となっていたので、仕方がないところであるが、『アジアカップのときのチームを世界の舞台で観たかった。』という気持ちは、今でも残っている。
■ ドーハとジョホールバル2000年のときのアジアカップのチームは強くて、魅力的なチームだったが、「魅力度」で言うと、1993年のドーハの悲劇を経験したオフト・ジャパンや、フランスW杯の切符を手にした1997年のアジア最終予選のときのチームも、十分に魅力的で、感情移入しやすいチームだった。
オフト・ジャパンが活動したのは、Jリーグがスタートした前後なので、「Jリーグブーム」にも乗って、かつてないほど、大きな注目度を浴びていたが、選手たちは、プロの時代とアマチュアの時代の両方を経験していたので、ハングリー精神があって、今のなでしこジャパンのように、「自分たちで歴史を切り開いていく。」というたくましさがあった。
FW三浦知良、FW中山雅史、MFラモス瑠偉、DF柱谷哲二、DF井原正巳ら、タレントにも恵まれていて、1992年のアジアカップ初優勝を皮切りにして、これまでの常識を打ち破る活躍を見せていった。残念ながら、アジア最終予選の最終戦の最後のロスタイムに同点ゴールを決められて、W杯行きはならなかったが、W杯出場という夢に大きく近づいて、1998年のフランスW杯初出場に続く道を作っていった。
その4年後のフランスW杯アジア最終予選のときは、W杯に出場することは、「夢」ではなくて、「ノルマ」になっていた。2002年には自国で開催されるW杯を控えていて、フランス行きを逃すことは許されず、非常に苦しい戦いとなった。自力で出場権を獲得することが困難になったときもあったが、選手たちは諦めずに戦って、ついに、ジョホールバルで努力が実を結んだ。
このチームが背負っていたものは、ある意味では、ドーハ組以上の重さで、当時、Jリーグ人気は下火になって、平均の観客動員数はピーク時と比べて、半減していた。もし、ここで、フランス行きの切符を逃していたら、Jリーグは、危機的な状況を迎えていただろうし、存続できたかどうかも、怪しいところである。このチームの売りは、MF中田英寿、MF名波浩、MF山口素弘のトライアングルで、ダイナミックな中田英寿と繊細な名波浩という両極端なゲームメーカーを、山口素弘が操った。
■ 若年層の代表チーム若年層の代表チームでは、1996年のアトランタ五輪代表チーム、1999年のワールドユースで準優勝に輝いたU-20日本代表チーム、2000年のシドニー五輪代表チーム、2007年のカナダ大会のU-20日本代表チーム、2011年のメキシコ大会のU-17日本代表などが印象的である。
西野監督が率いたアトランタ五輪代表チームは、MF前園真聖、FW小倉隆史、FW城彰二、MF中田英寿、GK川口能活など、優秀なタレントを擁していたが、修羅場になっても、動じない精神的な強さがあった。怪我でエースストライカーのFW小倉を欠きながら、28年ぶりの五輪出場を決めたアジア最終予選の戦いは、強烈な印象を残した。
また、日本サッカー史に残る偉業を成し遂げた1999年のワールドユースのナイジェリア組の躍進には、心を踊らされた。勝ち進んでいく様は、漫画のようで、MF小野伸二、MF本山雅志、MF小笠原満男、MF酒井友之、MF遠藤保仁の中盤は、決勝のスペイン戦を除くと、どの試合でも、相手を圧倒した。耐えて、守って、勝利をつかむのではなく、ほとんどの試合で、試合を支配し、日本サッカーの可能性を感じさせた。さてさて、過去のあらゆる日本代表チームであなたがもっとも好きなのは、どのチームですか?
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サッカーダイジェストの再興に期待したい。
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