「闘争人 松田直樹物語」という本を読み返してみた。発行日は2009年6月15日なので、2年前である。
読んでみて、改めて感じるのは、「面白い選手だな・・・。」ということである。彼は、五輪代表のときも、フル代表のときも、一度ずつ、個人的な理由で代表チームから離れている。
一度目は1998年のこと。試合後に、ふてくされた態度をとったことを、当時のトルシエ監督に指摘されて、チームから「追放」されてしまった。二度目は、2005年3月のW杯予選のとき。ベンチ入りメンバーから外れたことがわかると、スタンド観戦ではなく、無断帰宅することを選択した。
※ 3人の子供がいるが、長男が生まれたのは、2005年3月のW杯予選のときで、遠征に参加していたため、生まれてきてからずっと会えずにいた。その長男と初めて会ったのが、無断でスタジアムを離れてから数時間後だったという。早く子供に会いたい気持ちと、ベンチからも外れた屈辱感と、ジーコ監督に対するネガティブな思いが入り混じった複雑な心境だったと想像できる。ちょっとせつない話である。この選手を表現するとき「未完の大器」という言葉がもっとも適切ではないかと思う。フル代表のレギュラーとしてW杯にも出場した選手に対してこう表現をするのは「失礼」にあたることもあるが、彼の有り余るような資質を考えると、もっともふさわしいかなと思う。
身体能力に恵まれていて、攻撃的なセンスもあって、センターバックとして体格も申し分ない。これだけの素材は、本当になかなかいない。精神的な未熟さを指摘されることもあったが、闘志が空回りすることなく、継続して安定したプレーができるようになったら、どんなに素晴らしい選手になるだろうと、誰もがその未来にワクワクした。
安定感のある選手はチームにとって大きな助けになる。一方で、振れ幅が大きくて「ハマると凄い」タイプの選手は、長期戦を戦うときはチームにマイナスになることもあるが、サポーターに夢を提供できる。こういった選手は、サッカー界全体を見渡しても、そんなに多くはないが、松田直樹という選手は10代の頃からそういったタイプの選手で、今もそうである。
2010年のオフに横浜FMを退団すると、新天地としてJFLの松本山雅FCを選択した。ここでは、J1時代とは違ってマスコミに登場する回数は少なくなったが、Jリーグ誕生から日韓W杯までの「夢の時間」を共に歩んできた大多数のサッカーファンと同じで、「松田直樹という存在」を無視できるはずもなかった。
「松本山雅のDF松田直樹を直に観たいな。」と思いながら、松本山雅FCの日程もチェックして、8月10日に湖南で行われる試合に照準を合わせてきたが、ここで、まさかのニュースが飛び込んできた。
東日本大震災のときも同じような思いをもったが、こういった状況になると、試合の勝敗であったり、リーグ戦の優勝だったり、降格だったり、誰が代表に呼ばれるであるとか、誰が試合で活躍したとか、誰が移籍するとか、普段は大きな意味を持つものも、全て、二の次、三の次になってしまう。
詳しい状況は分からないが、エネルギッシュな彼が、ここで歩みを止めるとは思えないし、想像もできない。今、現在、厳しい闘いを続けていると思うので、できる限りのパワーを送りたい。そして、また、元気な姿で戻ってきてくれることを信じたい。
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