最後は、歴代の「偉大だと思う外国人選手」を集めてみました。ピッチ上のパフォーマンスだけでなく、チームやリーグに与えた影響力や世間に与えたインパクトも考慮しました。
かなり、個人的な好みが混じっています。昔の選手が多めなのは仕方がないかと思いますが、MFジーニョ(横浜フリューゲルス)、MFサンパイオ(横浜フリューゲルス)、MFサントス(鹿島アントラーズ)、MFベッチーニョ(ベルマーレ平塚)、DFペレイラ(ヴェルディ川崎)、MFバイン(浦和レッズ)、FWスキラッチ(ジュビロ磐田)、FW崔龍洙(ジェフ市原)、DF洪明甫(柏レイソル)、GKジルマール(セレッソ大阪)、MFハシェック(サンフレッチェ広島)、FWラモン・ディアス(横浜マリノス)らも有力候補でした。
第15位 アラウージョ ・・・ ブラジル出身 / 清水エスパルス、ガンバ大阪
→ 「1年だけ万博に舞い降りた天使」と語り継がれる元ブラジル代表の万能アタッカー。05年に清水からG大阪に移籍。そのシーズンに33試合で33ゴール。獅子奮迅の活躍でG大阪をチーム史上初の年間王者に導いた。たった1年でG大阪を去ったが、その印象は強烈に残っている。
第14位 ウェズレイ ・・・ ブラジル出身 / 名古屋グランパス、サンフレッチェ広島、大分トリニータ
→ Jリーグ通算124ゴールは、ゴン、カズに次ぐ、歴代3位。外国人としては最多のゴールを記録しているストライカー。名古屋、広島、大分の3チームでプレーし、いずれのチームでも中心となった。万能型のストライカーで、多くの得点パターンを保持していた。パワフルな右足は驚異的だった。
第13位 エドゥー ・・・ ブラジル出身 / 横浜フリューゲルス
→ 「Jリーグ史上最高のプレースキッカー」と評されるマジカルな左足を持つ元ブラジル代表MF。驚異的な射程距離を持つ左足はピッチ上のどの位置であっても相手チームの脅威となった。94年の磐田戦でマークした40メートルのフリーキックはJリーグ史上最高のゴールの1つである。世界レベルのキッカーの凄さを日本のサッカーファンに知らしめた。
第12位 パトリック・エムボマ ・・・ カメルーン出身 / ガンバ大阪、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸
→ 超人的な身体能力を武器に旋風を巻き起こした「浪速の黒豹」。1997年にパリ・サンジェルマンからガンバ大阪に移籍すると、28試合で25ゴール。デビュー戦となったベルマーレ平塚戦のリフティングからのボレーシュートは鮮烈な印象を与えた。Jリーグの舞台で出場機会を得ることで経験と自信と得て、カメルーン代表でも活躍。98年、02年のW杯に出場。00年のシドニー五輪では金メダルの原動力となった。
第11位 レオナルド ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ
→ 94年のアメリカ大会、98年のフランス大会のブラジル代表のレギュラーメンバー。94年のW杯終了後、引退したジーコの後継者として来日。間違いなく、世界最高レベルのタレントで、Jリーグのピッチでも華麗なプレーを披露した。95年の横浜フリューゲルス戦で見せたリフティングからのボレーシュートはJリーグ史上最も美しいゴールと認識されている。
第10位 ジョルジーニョ ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ
→ ブラジル代表として90年のイタリア大会、94年のアメリカ大会に出場。94年の大会は右サイドバックとして世界一に大きく貢献し、「世界最高の右サイドバック」といわれた。95年に鹿島に入団。当初は右サイドバックでプレーしていたが、次第にボランチでの出場機会が増えていった。本職ではないポジションであったが、精度の高いキックを武器に大活躍し、96年はリーグMVPに輝いた。プロとして模範的なふるまいをして、周囲に与えた影響は大きかった。
第9位 ピエール・リトバルスキー ・・・ ドイツ出身 / ジェフ市原、ブランメル仙台
→ 82年、86年、90年の西ドイツ代表。3大会連続で決勝に進出している。世界的なドリブラーで西ドイツ代表として73試合に出場している。93年にジェフ市原に入団。ジーコ、リネカーとともに目玉助っ人とされたが、期待どおり、華麗なドリブルを披露し、Jリーグを盛り上げた。愛称は「リティ」。
第8位 シジマール ・・・ ブラジル出身 / 清水エスパルス
→ 「クモ男」のニックネームにふさわしく、長い手足を生かしたアクロバティックなセービングで人気を集めた守護神。93年に記録した「731分無失点の記録」という大記録は、J2時代の06年の横浜FCのGK菅野に破られるまでJリーグ記録だった。地味だったGKのポジションにスポットライトを浴びさせた貢献度は非常に高い。
第7位 アルシンド ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ、ヴェルディ川崎、コンサドーレ札幌
→ ジーコの愛弟子。抜群のスピードを武器にピッチ上で躍動。93年は28試合で22ゴールを記録し、欠場の多かった大黒柱のジーコの穴を埋めて、見事に93年のファーストステージ制覇に大貢献した。ピッチ上での活躍だけでなく、ユニークなヘアースタイルが注目を集めて、一躍、人気者になった。Jリーグブームで主役となった一人である。Jリーグでは、125試合で79ゴール。
第6位 ギド・ブッフバルト ・・・ ドイツ出身 / 浦和レッズ
→ (西)ドイツ代表として76試合に出場したワールドクラスのセンターバック。188cmの長身を生かした空中戦の強さは抜群で、リーチの長さを生かしたインターセプトも得意。94年のアメリカ大会直後に浦和に入団。それまで、3ステージ連続で最下位だったチームを立て直した。弱小だった浦和が上昇するためのエネルギー源となった。
第5位 盧廷潤 ・・・ 韓国出身 / サンフレッチェ広島、セレッソ大阪、アビスパ福岡
→ 韓国人Jリーガーの先駆けとなった偉大な先駆者。ライバル国であり、格下(と思っていた)日本のプロリーグに現役の代表選手が移籍したことは、韓国国内で大きな非難を浴びたが、豊富な運動量と果敢なドリブル突破を武器にJリーグでも大成功をおさめた。94年と98年のW杯の韓国代表。
第4位 ビスマルク ・・・ ブラジル出身 / ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸
→ 90年のイタリア大会のブラジル代表MF。93年途中に黄金時代のヴェルディ川崎に加入。正確無比なパスとシュートを武器に、多くのタイトル獲得に貢献した。97年には鹿島に移籍。鹿島でも幾多のタイトルを獲得し、「優勝請負人」と評された。ゴールを決めた後、神に祈りをささげる「ポーズ」が印象的である。
第3位 ドゥンガ ・・・ ブラジル出身 / ジュビロ磐田
→ 90年、94年、98年のブラジル代表。94年は優勝、98年は準優勝に輝いた「闘将」である。類稀なリーダーシップで若いジュビロを引っ張り、その後の黄金時代の礎を築くことに大きく寄与した。95年に来日した当初は、守備的な仕事が多かったが、Jリーグでプレーし続ける中でレベルアップを果たした。98年のフランス大会はブラジル代表でプレイスキッカーを務めるまでになった。
第2位 ジーコ ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ
→ Jリーグ誕生時、二部リーグのチームに過ぎなかった住友金属を日本屈指の名門チームに仕立て上げた大功労者。有り余る情熱で鹿島アントラーズの礎を築いた世界的なスーパースターである。Jリーグ開幕戦となった名古屋グランパス戦でのハットトリックはすでに伝説となっている。Jリーグ通算で23試合で14ゴール。94年に惜しまれつつ現役を引退した。
第1位 ドラガン・ストイコビッチ ・・・ ユーゴスラビア出身 / 名古屋グランパス
→ 説明無用のJリーグ史上最高の選手の1人。90年のイタリア大会で大活躍し、チームをベスト8に導いたが、その後は怪我もあって不本意なシーズンを送っていた。来日したのは94年。翌95年にヴェンゲル監督が就任すると、全盛期に近いプレーを取り戻した。前年のセカンドステージは最下位だったチームを、リーグ2位、天皇杯制覇に導いた。同時期のJリーグには、レオナルド、ジーニョ、ジョルジーニョ、ドゥンガらブラジル代表のレギュラークラスの選手が多く在籍したが、彼らと比べても、頭ひとつ抜け出た特別な存在だった。
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