期待は高かったにもかかわらず、期待外れに終わった外国籍選手を何となく集めてみました。あなたは、何人覚えていますか?第15位 ゴイコエチェア ・・・ スペイン出身 / 横浜マリノス 1998年
→ 1994年のアメリカ大会で大活躍。右サイドのスペシャリストとして、華々しい活躍を見せた。珍しいスペイン出身の外国人で、超大物として期待をかけたが、インパクトのあるプレーは見せられず。静かに日本を去ることになった。
第14位 マルセリーニョ・カリオカ ・・・ ブラジル出身 / ガンバ大阪 2002年
→ 「天使の右足」を持つと称されたブラジルのクラッキ。プレースタイルの問題もあって欧州では活躍することは出来なかったが、ブラジルでは愛された選手。2002年にG大阪に入団するも、チームにフィットすることは出来ずに21試合で3ゴールと期待外れに終わった。ただ、キックの精度はやはり抜群だった。
第13位 シーラス ・・・ ブラジル出身 / 京都サンガ 1998年-1999年
→ 1990年のイタリア大会でブラジル代表の10番を背負った超大物のはずであったが、2年間で11ゴールのみ。その片鱗を見せることなく、ノーインパクトのままでJリーグを去ることになった。本当にブラジル代表の10番だったのか?不思議に思う。
第12位 ジュニオール ・・・ ブラジル出身 / サガン鳥栖 2003年
→ 当時の日本代表監督のジーコ氏の息子。CFZ・ド・リオから鳥栖に入団するも、話題性を優先した入団であった事は明らか。その実力は多いに疑問視された。J2で2試合に出場するも、インパクトを残すことは出来ず。低迷期の鳥栖を象徴する出来事の1つだった。
第11位 チキ・アルセ ・・・ パラグアイ出身 / ガンバ大阪 2003年
→ 1998年と2002年のW杯のパラグアイ代表。90年代後半から00年代前半の南米を代表する右サイドバックで、豊富なスタミナはウイイレでも重宝した。2003年に期待を受けてG大阪に入団するも、16試合に出場したのみ。さしたるインパクトも残せずにJリーグを去った。
第10位 高宗秀(コ・ジョンス) ・・・ 韓国出身 / 京都サンガ 2003年
→ 韓国では珍しいファンタジスタタイプのMF。同年代の中田英寿とたびたび比較された韓国期待の若手選手だったが、次第に失速し、2002年W杯出場もならず。2003年にMF朴智星の抜けた京都に加入するが、コンディション不良は明らかで13試合で1ゴールのみ。シーズン途中に契約解除となった。
第9位 ファビオ・ジュニオール ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ 2004年
→ ブラジル代表15試合8ゴール。10代のスーパースター候補としてメディアに取り上げられてきたが、欧州でキャリアを積み上げることは出来ずに急失速。2004年に鹿島に入団した時は「元ブラジル代表ストライカー」の超大物として期待は高かったが、13試合で1ゴールのみ。期待外れに終わった。
第8位 ワンチョペ ・・・ コスタリカ出身 / FC東京 2007年
→ 2006年のドイツ大会の開幕戦で2ゴールの活躍。コスタリカの英雄でAマッチ通算で45ゴールを記録している超大物ストライカーとして、鳴り物入りでJリーグ入りを果たしたが、コンディションが悪く、モチベーションも低かった。J1では12試合で2ゴールのみ。世界レベルのプレーは見せられないまま、半年で退団した。
第7位 ロブソン ・・・ ブラジル出身 / コンサドーレ札幌 2002年
→ 横浜Fマリノスに移籍したFWウィルの代役として2002年に入団。ロシアリーグの得点王でUEFA CLでもゴールを決めた大物ストライカーと評判であったが、開幕から低調。チームもスタートダッシュに失敗し、不振の責任を取る形で
以後、試合に起用されることはなくなった。結局、わずか5試合の出場に終わった。
第6位 賈秀全(カ・シュウゼン) ・・・ 中国出身 / ガンバ大阪 1992年-1993年
→ 1980年代の中国を代表するセンターバック。Jリーグ元年のG大阪の守備の要として期待されたが、スピード不足を露呈。釜本監督のマズイ戦術の犠牲になった感もあるが、不本意なシーズンを送り、シーズン終了とともにチームを離れることになった。彼が期待通りに活躍出来ていれば、その後、中国人Jリーガーも増えていたのかもしれない。
第5位 ミューレル ・・・ ブラジル出身 / 柏レイソル 1995年
→ 1986年、1990年、1994年のW杯のブラジル代表。ブラジルの名門クラブのサンパウロFCで活躍し、1995年にJリーグ昇格を果たした柏レイソルに入団。ブラジル代表でもコンビを組んだカレカとの2トップは「Jリーグ最高の2トップ」と目されたが、日本になじめずに11試合で5ゴールに終わった。
第4位 ベベト ・・・ ブラジル出身 / 鹿島アントラーズ 2000年
→ ブラジル代表として3度のワールドカップを経験。1994年のアメリカ大会はロマーリオと2トップを組んで「世界最高の2トップ」と評されたが、Jリーグに登場した2000年はすでにプレーヤーとしてのピークを過ぎていた。期待は高かったが、7試合で1ゴールのみ。シーズン途中に退団した。
第3位 マイヤー ・・・ オランダ出身 / ヴェルディ川崎 1993年
→ 1993年の横浜マリノスとのJリーグ開幕戦に先発出場。前半に右足でスーパーゴールを決めて、Jリーグのファーストゴールをマークしたが、その後は沈黙。11試合で2ゴールのみ。ヴェルディの内粉の1つの要因となって、半年でチームを退団。衝撃的なゴールとの落差は激しかった。
第2位 イルハン ・・・ トルコ出身 / ヴィッセル神戸 2004年
→ 2002年の日韓大会で活躍。甘いマスクも手伝って日本でも大人気となった。2004年に移籍金5億円、年俸3億5千万円といわれる超大型契約で神戸に入団。期待は大きかったが、怪我もあって、3試合に出場したのみ。シーズン途中に戦力外となった。
第1位 ゲイリー・リネカー ・・・ イングランド出身 / 名古屋グランパス 1993年-1994年
→ 1986年のメキシコ大会の得点王。W杯通算で10ゴールを挙げているイングランドの英雄は年俸3億円で名古屋グランパスに加入。鹿島のジーコ、市原のリトバルスキーとともに、Jリーグの目玉だったが、結局、2年間で18試合で4ゴール。あまりにも怪我が多く、ストライカーとしての才能の片鱗も見せられなかった。
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