GK 楢崎正剛 (横浜フリューゲルスなど)→ J1での通算試合数は歴代2位となる631試合。キーパーとしては史上最多となる6回もベストイレブンに選ばれており、2010年にはキーパーとしては史上初となるJリーグのMVPに選出された。日本代表では1学年先輩に当たるGK川口(横浜Mなど)と激しいポジション争いを繰り広げたがJリーグでの実績はGK川口よりも上。他の追随を許さない圧倒的な成績を残している。キーパーに関してはほぼ一択。「GK楢崎以外にはあり得ない。」と言える。次点はGK西川(大分など)。5度もベストイレブンに選出されている。
DF 田中マルクス闘莉王 (浦和レッズなど)→ 2001年に高卒で広島に加入したが当時はブラジル国籍だった。外国枠に阻まれた時期もあったが2003年10月に日本への帰化が認められて、即、五輪代表入り。2004年に水戸から浦和に移籍すると守備の要として大活躍。2004年~2012年まで9年連続でベストイレブンに選出されている。大きな特徴はCBとは思えないほどの高い攻撃力になる。J1では75ゴール、J2では29ゴール。CBながら通算100ゴールを超えている。晩年の京都時代の2017年はほぼフォワードで起用されてJ2で15ゴール。規格外の選手だった。
DF 中澤佑二 (横浜Fマリノスなど)→ 練習生から本契約を勝ち取った苦労人。1999年にV川崎に加入すると1年目から大活躍。この年の9月に早くもフル代表入りを果たすなどシンデレラストーリーを歩んだ。J1通算で593試合は歴代3位。1999年~2018年まで20年間プレーしたが20年連続で22試合以上に出場するなど長期離脱することはほぼ無かった。キャリアの晩年までレギュラー落ちすることもほぼなくてずっと第一線で戦い続けた。「ボンバー」の愛称で親しまれたがボンバーヘッドを武器にJ1で36ゴール。日本代表では110試合で17ゴールを挙げた。
DF 井原正巳 (横浜マリノスなど)→ 「アジアの壁」と言われた名CB。草創期のJリーグを代表するスター選手である。1993年~1997年まで5年連続でベストイレブンを受賞。5度のベストイレブン選出は歴代7位タイとなる。堅守が武器だった横浜Mの守備の要として活躍したがクレバーでキックの精度が高い万能型のCBだった。日本代表としても歴代4位となる122試合に出場。フランスW杯を目指した加茂JAPANならびに岡田JAPANのときはキャプテンとしてチームを引っ張った。同ポジションで同世代のDF洪明甫(元・韓国代表)は永遠のライバルになる。
MF 遠藤保仁 (ガンバ大阪など)→ 「ヤット」の愛称で親しまれる希代の司令塔。日本代表としては歴代1位の152試合に出場するなど長きに渡って日本代表の中心選手として活躍した。1998年に高卒で横浜フリューゲルスに加入したが「Fの悲劇」によってクラブは消滅した。1999年と2000年は京都でプレーして2001年にG大阪に移籍したがG大阪でも長きに渡ってチームの顔として活躍した。G大阪に幾多のタイトルをもたらしたが正確無比な右足のキックは絶品。43歳になった今もJ2の磐田で主力として活躍。黄金世代のトップランナーになった。
MF 中村俊輔 (横浜Fマリノスなど)→ 桐光学園高出身。華麗な技術でサポーターを魅了したファンタジスタ。日本代表としても98試合で24ゴール。長きに渡って10番を背負って日本サッカー界を引っ張った。全盛期はセルティックなどほぼ海外でプレーしたにも関わらず、2000年と2013年にJリーグのMVPを受賞するなどJリーグでの実績も十分。7年半ほど海外でプレーしたにも関わらず、J1での直接FKでの得点数の記録を保持。「Jリーグ史上最高のプレイスキッカー」と言われる。華奢な身体でありながら運動量は多くて常に動いて攻撃の中心を担った。
MF 中村憲剛 (川崎フロンターレ)→ 2003年に当時はJ2だった川崎Fに加入すると2020年に現役を引退するまでずっと川崎Fでプレーした。「14番」は特別な番号になった。歴代3位となる8回もベストイレブンに選出されており、2016年にはJリーグのMVPを受賞した。関塚監督時代は抜群のスピードを誇るFWジュニーニョをホットラインを形成。30歳を過ぎてから風間監督に出会ったがベテランの年齢になった後も成長を続けた。晩年はMF三笘やMF旗手など若い選手をサポートした。高速のスルーパスと威力のあるミドルシュートは大きな武器だった。
MF 小笠原満男 (鹿島アントラーズなど)→ 1998年に高卒で鹿島に加入するとセリエAのメッシーナでプレーした1年間を除くとずっと鹿島でプレーした。J1通算では歴代7位となる525試合。歴代4位タイとなる6回もベストイレブンに選出されており、2009年にはJリーグのMVPを受賞。鹿島の3連覇に大きく貢献した。若い頃は卓越したボールコントロールと正確な右足を武器にトップ下(アタッカー系の選手)として活躍したがイタリアから戻って来た後はボランチが主戦場になった。シャイな若者だったが晩年は背中で引っ張る闘将として常勝軍団の鹿島をを支えた。
FW 三浦知良 (ヴェルディ川崎など)→ Jリーグの初代のMVP。1996年には得点王に輝いた。「Jリーグの申し子」と言われるが1993年5月15日に行われた開幕戦に出場したにも関わらず、未だに現役として頑張っている。J1での通算ゴール数は歴代7位となる139ゴール。J2でも249試合に出場して24ゴールを挙げている。1967年2月26日生まれなのでJリーグがスタートしたときはすでに26歳だった。キャリアの前半戦の数字が全く含まれないにも関わらず、J1での通算ゴール数が歴代7位というのは物凄い話である。Jリーグ史上最高のスター選手と言える。
FW 大久保嘉人 (川崎フロンターレなど)→ J1通算では477試合で191ゴール。歴代2位のFW興梠が165ゴールであることを考えると1人だけ飛び抜けた数字になる。残念ながら200ゴールには達しなかったが優秀な選手はすぐに海外に渡る時代になっていることも加味すると彼の191ゴールという記録が塗り替えられる可能性は極めて低い。川崎F時代の2013年・2014年・2015年に3年連続で得点王に輝いたがアシスト能力も高い万能型のストライカー。「類まれな身体能力」と「正確な技術」と「並外れた嗅覚」と「シュート力」を生かしてゴールを量産した。
FW ストイコビッチ (名古屋グランパスなど)→ ピクシーの愛称で親しまれたユーゴスラビア出身のファンタジスタ。「Jリーグ史上最高の選手」、「Jリーグ史上最高のファンタジスタ」とも言われる。1994年の夏に名古屋に加入したが真価を発揮したのはベンゲル監督が来日してから。1995年は40試合で17得点29アシスト!と大車輪の活躍を見せて低迷していた名古屋の救世主になった。「雨中のリフティングドリブル」や「日産スタジアムでの革靴シュート」など幾多の伝説を残している。引退後は監督としても成功。2010年に名古屋にJ1初優勝をもたらした。
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