■ ラモスのサッカー人生ブラジルのリオデジャネイロ近郊のメンデスという小さな田舎街で育ったミスターヴェルディ・ラモス瑠偉。1977年に来日すると、以後、読売ヴェルディ、ヴェルディ川崎、京都サンガでプレー。
1998年に現役を引退するまで、日本年間最優秀選手賞2回(1990年、1991年)、JSL得点王2回(1979年、1983年)、JSLアシスト王3回(1979年、1991年、1992年)、JSLベストイレブン6回(1979年、1983年、1987年、1990年、1991年、1992年) 、Jリーグベストイレブン2回(1993年、1994年)と輝かしい実績を残している。
1989年に日本人に帰化。横山監督率いる日本代表入りを果たす。1992年にはアジアカップを初制覇すると、1993年にドーハで行われたアメリカワールドカップ予選でも背番号「10」を背負って、チームを引っ張った。
華麗なテクニックと熱い闘志が全てのサポーターを魅了した。
■ ラモス瑠偉語録「日の丸の付いたユニフォームを着るなんて本当に夢のようだった。嬉しくて涙がこぼれたよ。」
「カミサマ…。」(ドーハの悲劇で同点ゴールを決められた瞬間に天を仰いで・・・。)
「みんなタレントだよ。笑い顔で。タレントばっかり」(1998年のW杯のクロアチア戦後。)
「これからはじまるんだよ。」(1993年のアメリカW杯予選の韓国戦後。W杯史上初めて韓国代表を下して舞い上がるチームに対して。)
「俺のポジションを取ろうとする奴は足の骨を折ってやる。」
「本当に22年間はあっという間でした。初めてこの国立で試合をした時、観衆はたしか300人か400人でした。今こうしていろんな人の努力と協力で、満員のファンの前で引退試合ができました。私は本当に幸せです。本当に感謝しています。」(1999年8月23日の引退試合後のセレモニーにて。)
「テクニックは人から教わることも出来る。でも、ハートは自分で鍛えるしかない。」
「サッカーにおけるチャンスとピンチはコインの裏表だ。「必ずここに来る」と思って走りこんだ場所にボールが来なかった場合、チャンスは一瞬にしてピンチに転じる。それだけに、チャンスを生かすには勇気が求められるし、背中合わせのリスクも抱えることになる。でも、ときにはリスクを冒さなければ、ゴールという「リターン」も得られないのが、サッカーだ。そして、チームの信頼感が、リスク管理の役目も果たす。 真の意味でのチームワークとは、この信頼感のことだと思う。そして信頼感こそが、チームとして100パーセントの力を発揮してサッカーをすること、そして個々の能力を最大限に引き出すことにもつながるとワタシは思う。」
「奥さんとデートしてるときが一番楽しい。」
「そんな選手いらないョ!ロッカーを早く片付けろって。出ていきたい選手は出ていけばいい。ヴェルディを愛していない選手が去っただけ。」(主力の大量移籍に関して。)
「サッカーの神様がまだ日本はW杯に出るべきではないと言ってるんだヨ・・・」(ドーハの悲劇の後。)
「オレが将来、初音をブラジルに連れて帰れば、両親の面倒はどうなる」(1人娘の初音夫人と結婚することになって・・・。)
「弟の貢献を日本人は分かってくれていた。」(ラモスの引退試合に集まった48,000人の大観衆に対して、義兄のエイトールの発言。)
「ヴェルディのために死ぬ気のある選手とやりたい。」 (ヴェルディの監督時代。)
「J2に落としたのは彼ら。ハートを持っていなければ、自分のチームに用はない。」 (同じく、ヴェルディの監督時代。)
「サンガを関西№1のチームにする。」(1996年に電撃的な京都サンガ移籍を果たしたとき。)
「勝てばいいじゃん。勝てばいいよ。優勝したければ勝たなきゃいけない。連勝しなきゃいけない。去年から、5連勝、6連勝、7連勝ぐらいして1敗とか1引き分けとか、悪くても3連敗か4連敗ぐらいは許されてるのかな。それを7連敗してるんだから、自分でわかってる。まだまだ。この後勝てばいいんだから。逃げるのは簡単。でも限界はあるよ。続けることですよ。勝たなければならない。水曜日に選手たちと会えるのが楽しみ。」(2007年にリーグ戦で7連敗を喫した後、京都に勝利し続投が決定した時。)
「今のはピッケとられてもおかしくなかったネ。」(→ ピッケ=PK)
「オレたちの時代には、オレがいて、カズがいて、ゴンちゃんがいて、そして柱谷もいた。勝つために何が必要なのか。そのことを必死に考えたし、考えたことを声に出し続けた。それが当たり前だったんだよ。」 (2006年のワールドカップで惨敗した日本代表チームについて。)
「ただの敵。勝ちたかった。」(1995年に子供の頃に憧れたブラジル代表を相手にした時。)
「監督は辞めて、フロント入りすることにしました。魂が灰になるほど疲れ果てたからです。 」(2007年にJ1昇格決定後に監督を勇退したとき。)
「体の中にグリーンの血が流れている。」
「魂でサッカーを愛した男を覚えておいてほしい」(同じく、1999年8月23日の引退試合後のセレモニーにて。)
「今度生まれてきたら、もっと早く日本に来て、もっと早く日本人になりたい。そしてみんなと一緒にW杯に行きたい。」(同じく、1999年8月23日の引退試合後のセレモニーにて・・・。)■ ラモスと日の丸「日の丸――。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことあったね。ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。」
「日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うってスゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。」
「ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?」
「オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは三八歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。」ラモス瑠偉の思いは、きちんと、後輩たちに伝わっているか。
ラモス瑠偉 (らもす・るい)0030 2005/12/15
ラモス監督 誕生0131 2006/03/12
【湘南×東京V】 ラモス監督の開幕戦0203 2006/05/20
【東京V×山形】 手遅れになる前にラモスを・・・0469 2007/01/21
沢登正朗 引退試合 (生観戦記 #1) 0554 2007/04/07
J's レジェンド (攻撃的MF部門)0761 2007/09/30
【東京V×札幌】 ラモスヴェルディ 2位浮上1057 2008/05/14
5/15記念 #1 あなたが考えるJリーグ史上最高のゴールはどのゴールですか?(動画追加)1189 2008/08/13
ラモス瑠偉と日の丸への思い1780 2009/09/17
「名門ヴェルディ 消滅の可能性」に思うこと
- 関連記事
-