【初級編】・大宮アルディージャのMF小林慶行と大分トリニータのMF小林亮は兄弟である。
・ジェフユース育ちで京都サンガ所属のMF佐藤勇人とサンフレッチェ広島FW佐藤勇人の兄弟。生真面目な性格の弟・寿人に対して、兄・勇人は自由奔放な性格で知られており、ジェフユース時代に2度、サッカーを辞めている。
・名古屋グランパスのMF小川佳純は高校3年生のとき、高校サッカー選手権の決勝戦でロングシュートを決めて、チームを全国制覇に導いた。相手の国見高校には当時2年生だったFW平山相太がいた。
・現解説者の原博美氏は、日本代表として国際Aマッチ75試合に出場。歴代3位の37ゴールを挙げている。ちなみに、1位は釜本邦茂、2位は三浦知良である。
・五輪代表のMF本田圭祐。中学生時代はガンバ大阪Jrユース所属だったが、同クラブユースへの昇格の内定は出ず、星稜高校に進学した。MF家長昭博とはジュニアユースの同期生であり、ライバルである。
・高校2年のとき、セレッソ大阪とプロ契約を果たしたMF香川真司。高校卒業前の選手がプロ契約を結ぶのは、Jクラブのユース所属選手がトップチームに昇格した場合を除き史上初めて。
・ジュビロ磐田のGK川口能活とDF田中誠は清水商業高校の同級生。高校3年生のときに全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、全国優勝を果たしている。
・2000年に鹿島アントラーズに所属したFWベベット。彼が1994年のアメリカワールドカップの準々決勝のオランダ戦で決めたゴール後に見せた「ゆりかごダンス」は、世界中に広まった。
・日本代表のMF松井大輔とガンバ大阪のFW山崎雅人は小中学校で同級生である。
・ヴァンフォーレ甲府のチーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で、郷土の象徴的人物でもある武田信玄の旗指物「風林火山」にちなんでいる。
・1995年はナビスコカップが開催されなかった。
・柏レイソルのDF古賀正紘とヴィッセル神戸のMF古賀誠史は兄弟である。
・元日本代表で鹿島アントラーズで活躍した左サイドバックの相馬直樹。左足からの正確なクロスに定評があったが、利き足は右だった。
・2007年のJ2日本人最多得点のサガン鳥栖FW藤田祥史。兵庫県神戸市出身で中学時代はヴィッセル神戸のJrチームに所属した。
・Jリーグのリーグ戦での1試合最多得点はFW野口幸司(1995年5月3日)、FWエジウソン(1996年5月4日)、FW中山雅史(1998年4月18日)がマークした5得点。
・サンフレッチェ広島のDFイリヤン・ストヤノフ。元ブルガリア代表で2004年のユーロにも出場している。
・アトランタ五輪代表のMF服部年宏。もともと左サイドバックが専門であったが、アトランタ五輪の初戦では、ブラジル人のMFジュニーニョをマンマークするために、ボランチで起用された。
・1993年の6月5日、名古屋戦にてハットトリックを達成したガンバ大阪のFW永島昭浩。これがJリーグ日本人選手のハットトリック第1号となった。
・ジェフ千葉のFW新居辰基。「たつのり」という名前は、巨人軍の現監督の原辰徳に由来する。
・「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で桜を意味する。桜は大阪市の花に選定されている。
・高校卒業後にソニー仙台への入団が内定していたMF今野泰幸。しかしながら、当時J1だったコンサドーレ札幌の練習に参加し、岡田武史監督に注目されて札幌に加入した。
・J1リーグの優勝賞金は2億円。2位のチームにも1億円が与えられる。
・ジュビロ磐田の初代監督を務めた長澤和明氏。長女は女優の長澤まさみである。
【中級編】・FC東京所属のDF佐原秀樹は1997年の全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝した桐光学園のキャプテン。そのときのチームメイトには、セルティックのMF中村俊輔とヴァンフォーレ甲府のFW宇留野純がいる。
・クレヨンしんちゃんの野原みさえは浦和レッズのファン。
・1997年のリーグ戦は17チームで行われた。J1でチーム数が奇数だったのは、この年だけである。
・ジェフ千葉のFW巻誠一郎と名古屋グランパスのFW深井正樹は、駒沢大学時代に2トップを組んで大活躍。「大学サッカー史上最高の2トップ」と評されることもある。
・マイアミの奇跡を起こしたアトランタ五輪代表チーム。そのときの10番は横浜マリノス所属のMF遠藤彰弘だった。
・ガンバ大阪所属のFWバレー。彼が本格的にサッカーをはじめたのは17歳のころからで、遅いスタートであったが、その2年後の2001年に当時はJ2の大宮アルディージャとプロ契約を果たしている。
・セレッソ大阪からサガン鳥栖にレンタル移籍中のFW金信泳。日本では珍しく移籍元のC大阪戦には出場出来ない、という条件付きの移籍となっている。
・横浜FマリノスのMF山瀬功治の父親は1984年のサラエボ冬季五輪にバイアスロンで出場した山瀬功氏。
・優等生のイメージもある浦和レッズのMF阿部勇樹。しかしながら、中学・高校とサッカー漬けの生活を送ったためか、相当に頭が悪いらしい。
・Jリーグ誕生後では、鹿島アントラーズとジュビロ磐田の2チームだけが、総合順位で二桁順位になったことがない。
・ヴェルディ川崎や鹿島アントラーズで活躍したMFビスマルクは、1990年のイタリアワールドカップのブラジル代表に20歳の若さで選ばれている。このときのチームメイトには、DFジョルジーニョ、DFモーゼル、MFドゥンガ、MFバウド、MFシーラス、FWカレッカ、FWミューレル、FWベベットがいて、登録メンバー22名中に9名がJリーグ経験者である。
・2000-2001年シーズンのローマのスクデットに貢献したブラジル人センターバックのDFザーゴ。1996年と1997年には柏レイソルに所属し、24試合に出場している。Jリーグでの登録名は、アントニオ・カルロスだった。
・ガンバ大阪のDF山口智。市原ユース育ちの彼は、1996年3月20日の京都戦でJリーグデビュー。当時、高校2年生で、初の高校生Jリーガーとなった。
・オリジナル10の1つである清水エスパルス。エスパルスの「エス」は、「サッカー」と「清水」と「静岡」の頭文字から来ている。
・コンサドーレ札幌の「コンサドーレ」という愛称。これは、北海道出身(または在住の人)を意味する「道産子」を逆から読んで、ラテン語の響きを持つオーレを付け加えたものである。
・鹿島アントラーズで活躍したDF奥野僚右。2002年にザスパ草津に選手兼任監督として移籍し、チームをJFLまで昇格させた。その功績を称えて、背番号31番は永久欠番となっている。
・柏レイソルや京都サンガで活躍したDF大熊裕司。日本代表コーチの大熊清は実兄である。
・大宮アルディージャのマスコットはリスで、チーム名のARDILLA(スペイン語でリスを意味する)にちなんでいる。そのリスの尻尾は、「堅い守備」と「バランス」を表す。
【上級編】・サガン鳥栖の17番は永久欠番となっている。これは、サガン鳥栖の設立に多大な尽力を注いだ故坂田道孝氏が逝去されたのが1999年1月7日で、その命日1月7日にちなんだものである。
・サンフレッチェ広島の森崎兄弟の見分け方はホクロ。鼻の下にホクロがあるのが兄のMF森崎和幸である。
・J1のシーズン毎の1試合最多平均得点は1998年のジュビロ磐田の3.15点。2位は2006年の川崎フロンターレで2.47点である。
・川崎フロンターレのMF中村憲剛とサッカー日本女子代表のMF澤穂希は、小学校のとき、少年サッカーチームでチームメイトだった。MF沢が2学年先輩に当たる。
・日本サッカーリーグ史上、得点王とアシスト王を同時に受賞したのは、FW釜本邦茂とMFラモス瑠偉の2人しかいない。
・Jリーグの副審を務める八木あかね氏。名前だけで判断すると女性のようにも思われるが、男性である。
・Jリーグ誕生以後、鹿島アントラーズに所属した外国人選手は、すべてブラジル国籍である。
・J2リーグで得点王となったことのある日本人選手は、FW神野卓哉(大分:1999年)のみである。
・ファミリーネームが、「ぬ」、「め」、「ら」で始まる現役のJリーガーは1人ずつしかいない。
・解説者の松木安太郎氏は、1993年と1994年の2度、Jリーグの最優秀監督に選ばれている。
※ ガセネタが混じっている可能性がありますので、その真偽はご自分でお確かめください。
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関隆倫選手は小倉優子のいとこである。
大宮のGK江角浩司は江角マキコと親戚関係に当たる
残念ながらジュビロの2桁順位は2008年に成されてしまいました
名古屋の小川にロングシュートを決められていたとき、対峙した国見のDFが巻弟です。
セルティック水野コーキとレッズ鈴木ケイタは親戚同士。
美形の血筋なのでしょうか。
かつて名古屋に所属していたFWヴァスティッチはオーストリア代表としてユーロ2008に出場。最年長出場&ゴールを記録している…とか?
・家長と本田圭は誕生日も同じ
・正しくは"Ardilla"だがチーム名は"Ardija"
(英語的な発音にするため)
・鹿島の本山と歌手の平原綾香は親戚
名古屋の小川にロングシュートを決められたのは、現ベガルタの関。
関とザスパGKの常澤は前橋育英時代の同級生。2人とも国見と前橋育英で選手権に出ています。
「鹿島アントラーズは発足以来一貫して4バック」も、ですよね?ブラジル人もそうですし。
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