8位 : 2012年 ユース所属のMF南野拓実をクルピ監督に勧める。→ 2012年のC大阪は残留争いに巻き込まれた。秋にクルピ監督が復帰して「J1残留」を目指していたが期待の高かったMF吉野峻が怪我をして長期離脱することになった。攻撃の駒が不足する中、梶野氏は高校3年生でユース所属のMF南野の練習参加を入院中のクルピ監督に提案。「ミナミノ?誰だっけ?」と彼のことを認識していなかったクルピ監督だったがすぐに惚れ込んでMF南野はC大阪で定位置を確保した。
7位 : 現役時代 C大阪の初代のキャプテンとして活躍。→ 1988年にヤンマーサッカー部に入団すると1997年までC大阪でプレーした。プロ化の動きが急速に進む中、C大阪の初代キャプテンとして1994年のJリーグ昇格などに貢献した。兄の梶野智幸さんもヤンマーなどで活躍した元サッカー選手だった。兄弟Jリーガーとしても知られているが兄の梶野智幸さんは1992年と1993年はG大阪でプレーしている。(※ 当時の両クラブはそこまでのライバル意識はなかった。)
6位 : 2008年 出場機会に恵まれていなかったMF乾貴士を期限付き移籍で獲得。→ 野洲高の2年生のときに全国制覇を達成したMF乾は横浜FMに入団したが出場機会に恵まれなかった。高卒2年目の2008年の途中にC大阪に期限付き移籍しているが当時の監督はクルピ監督だった。当初は「うーん、どうかな・・・。」とあまりMF乾の獲得に乗り気ではなかったクルピ監督にプレー集を見せて説得。半ば強引に獲得の了承を取り付けた。MF乾は2011年の途中までC大阪でプレーして欧州に旅立った。
5位 : ユース時代はCBだったMF扇原貴宏をボランチで育てる。MFマルチネスの後継者。→ ユース時代からMF扇原は年代別の日本代表に選出されていたが当時から長身だった。CBでプレーする機会が多かったので「左利きの長身CB」として注目を集めていたがトップ昇格後はボランチで起用されるようになった。当時のC大阪には似たタイプの長身ボランチのMFマルチネスがいたが梶野氏はMF扇原に「MFマルチネスに負けるな!」と発破をかけ続けた。2013年にMF扇原は日本代表に選出されている。
4位 : 2010年 MF香川真司の移籍を見越してMF清武弘嗣の獲得に成功。→ MF香川は2009年のJ2で得点王に輝いた。2009年限りでC大阪との契約は切れてフリーの立場になったがW杯後の欧州移籍を見据えてC大阪とは半年契約を結んだ。後釜が必要だったが梶野氏は大分で頭角を現しつつあったMF清武に注目。MF香川が抜けた後、MF清武はC大阪でレギュラーに定着して日本代表にも選出されるようになった。2人が一緒にプレーする機会はほぼ無かったが完璧な世代交代が実現した。
3位 : 2009年 腐りかけていたFW柿谷曜一朗を徳島に放出。再生に成功する。→ MF香川とFW柿谷は学年は1つ違うが同期入団になる。両者は常に比較をされてきたがC大阪での出世争いは常にMF香川がリードしていた。FW柿谷は2009年に遅刻を繰り返して監督やチームメイトなどの信頼を失った。梶野氏はFW柿谷の放出を決断。プレー出来るチームを探して徳島への移籍が実現した。徳島で試合経験を積んで人間的にもサッカー選手としても成長したFW柿谷は2012年にC大阪に復帰した。
2位 : 2008年 無名の大学生だったGKキム・ジンヒョンを獲得。既存のキーパーは放出。→ C大阪は2007年~2009年までJ2に所属した。GK相澤やGK山本がポジション争いをしていたがキーパーは弱点だった。2008年の暮れに韓国の代理人からの推薦を受けた梶野氏はGKキム・ジンヒョンをC大阪の練習に参加させたが逸材と判断。「すぐに入団させよう。」と獲得に動いた。また、彼がC大阪でプレーしやすい環境を作るためにGK相澤やGK山本は放出。無名のGKキム・ジンヒョンの可能性に賭けた。
1位 : 2005年 高校2年生のMF香川真司のプレーを見て即決で獲得を決める。→ FCみやぎバルセロナユースでプレーしていたMF香川は高校2年生のときに飛び級でプロ入りを勝ち取った。梶野氏は視察に訪れたときにMF香川のプレーを観て即決で獲得を決めたが「街クラブ所属の選手を高校2年生の段階で獲得する。」というのは当然のことながら異例だった。ちなみに同じタイミングでFC東京もMF香川にオファーを出しているが「地元に近い。」ということもあってC大阪入りを決めたようだ。
→ 2019/11/13 「今オフにセレッソ大阪が獲得できたら面白いと思う選手」を10名だけ挙げてみた。
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