KING KAZU 語録「ブラジルでプロ選手になって、いつかW杯に出たい」(高1/1982年地元静岡の新聞インタビューに答えて)
「僕の夢は日本をワールドカップに連れていくことです!!」
「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」(1990年読売サッカークラブと契約し帰国した時の会見)
「それじゃ、見ててください。僕が日本を変えてみせます!」(帰国時日本にはプロが無いとネガティブな発言をする周囲の人間に対して)
「魂込めました、足に」(1992年アジアカップのイラン戦で決勝ゴールを決めて)
「悲しみはいつか癒えていくのかもしれない。でも、傷って消えることは無いんです」(1997年フランスW杯アジア地区最終予選開始前、「ドーハの悲劇について今どう思いますか?」と質問され)
「成功した時にスポーツ紙の一面になるのは普通の選手。失敗した時にスポーツ紙の一面になる選手は限られている。一面で失敗を取り上げられ叩かれることに誇りを持てばいい」(1998年柔道の田亮子選手がイチロー選手との対談で「KAZUさんに言われたこの話を思い出すと心強くなる」と語った)
「人生そのもの」 (あなたにとってサッカーとは?と聞かれ)
「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こう(フランス)に置いてきた」 (フランスW杯の最終登録メンバーから外されたとき)
2002年W杯の日本対ベルギー戦の直前まで、カズは一人黙々とグラウンドで練習を続けてコンディションを整えていた。ある記者がカズにその理由を尋ねると、カズは「試合直前だけど試合が始まるまでは何が起こるかわからないよね。もしかしたら集団食中毒が起こるかもしれないし、代表に選ばれたFWが怪我するかもしれない。そして、もしかしたら誰かの代わりに自分が選ばれるかもしれない。もし、そうなって自分が日本代表に選ばれた時、恥ずかしいコンディションでピッチの上に立つなんてことは、自分には絶対にできない。日本代表というのはそういうものじゃないんだ。
「これで皆、オレが引退すると思っているのかな?サッカーは世界中でやっているんだぜ」(神戸在籍時の2005年7月に5戦続けてベンチを外れた時に)
「日本も世界なんですよ」(記者の「日本は世界を相手に戦えますか?」との質問に対して)
「みんながまとまると強くなること…。超一流が集まって真剣にやった集中力は一つの芸術だと思う」(野球WBC優勝について)
カズはJリーグ開幕の頃、バカなマスコミが「野球は時代遅れ」と言ってた頃、「僕は野球好きですよ。」とテレビカメラの前でヴェルディの選手達とキャッチボールしてた。(誰かを貶めるのではなく)
「サッカー以外の全ての面でもニックネーム(KING)に相応しくありたい」
「素直にうれしい。ひとつの形として結果を出せた。チームを立ち上げてここまで来た人は、本当にうれしかったと思う。その人たちに本当におめでとうと言いたい」(横浜FCJ2優勝&昇格決定の会見で)
「クラブというのは色んな波を乗り越えていくもの。みんなの思いのこもったチームだと思う。これからも苦しみ、今日のような喜びもある」(同上)
「次は2010年目指して頑張ります」(2006年ドイツW杯のメンバー発表後)実況:山本浩 実況 NHK:山本浩
彼ほど悔しい思いをしたサッカー選手がいたでしょうか
彼ほど非難の的になったサッカー選手がいたでしょうか
自分の力ではどうにもならない悲しさ、
異国の地で孤独に押しつぶされそうになった夜
彼はそれらを全て前に進むためのエネルギーにしてきました。
今、彼ほど日本中から愛されている男はいません。
そして、彼ほどサッカーを愛している男はいないでしょう。
彼は1人ではありません。
彼が胸の前で握りしめている拳の中には我々の魂が握られています。
キングの称号を持つ男が、今ピッチの中へ走り出していきました。
三浦知良、ワールドカップ、デビュー戦です。リンク先 ~三浦知良~ KING KAZU 語録タイトル1990/91年 - コダックオールスター(東西対抗)最優秀選手賞、日本サッカーリーグ報知・年間優秀11人賞(ベストイレブン)
1991/92年 - 日本サッカーリーグ最優秀選手賞、同ベストイレブン
1992年 - ナビスコカップMVP・得点王、ダイナスティカップMVP、AFCアジアカップ大会最優秀選手(MVP)、アジアベストイレブン賞
1993年 - Jリーグ最優秀選手賞、Jリーグベストイレブン、日本プロスポーツ大賞、第1回オールスターMVP、W杯アメリカ大会アジア最終予選得点王、アジアサッカー連盟(AFC)年間最優秀選手
1994年 - アシックスカップサッカー優秀選手賞
1995年 - Jリーグベストイレブン、JOMOカップMVP
1996年 - Jリーグ得点王、Jリーグベストイレブン
2000年 - Jリーグ優秀選手賞
代表歴国際Aマッチ 91試合 56得点(1990年-2000年)
背番号11がもっとも似合う選手。日の丸のユニフォームがもっとも似合う選手。国立競技場の緑のピッチがもっとも似合う選手。アウェーのスタジアムにおいても大歓声で迎えられるプレーヤーは、彼以外には存在しない。
日本代表は慢性的な決定力不足であり、それは永遠の課題であるかのようにいわれているが、少なくともKAZUが君臨していた時代はそうではなかった。
予選リーグ敗退の危機からチームを救ったアジアカップ'92のイラン戦の魂の決勝ゴール・・・。日本代表をアジア・アフリカ王者に導いたコートジボワール戦の延長戦での決勝ゴール・・・。史上初めてワールドカップ予選で韓国代表を打ち破った'93のアメリカW杯予選での決勝ゴール・・・。97年のフランスW杯の最終予選の初戦ウズベキスタン戦の怒涛の4ゴール・・・。彼が日の丸の11番を背負って挙げてきたゴールのすべてが印象的である。
KAZUを超えるストライカーはいつの日か現れるのかもしれない。だが、KAZU以上のカリスマ性を備えたエースストライカーは、当分、現れることはないだろう。
彼の全盛期のプレーを見ることができたサポーターは、幸せだった。
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キングKAZUを超える選手
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カズ△
「僕はサッカーが仕事」自民の出馬要請を蹴ったカズ
http://www.asahi.com/sports/update/0517/TKY200705170317.html
要請を受けた時、「相手があることなので、その場では断らなかったが、考える時間が必要ということではなく、判断はまったく迷わなかった」。
「業種は関係なく、政治に興味がある人はやればいい」、「でも、僕はサッカーが仕事」
>>> 名無しさん
どうもコメントありがとうございます。彼には、こういう心に響くエピソードや語録が無数にありそうですね。
コレが入ってないなんて
フランスワールドカップ・アジア最終予選
最終予選で暴動が起こったときに「いいよ、俺が行くよ、俺が行くよ」って、何か叫びながら暴れてる連中の方に向かうのを周りが必死で止めてたのは覚えてる。
その時のカズが何を叫んでいたのかまでは知らなかったのだが…雑誌を読んで、今日始めて知って猛烈に心に響いた。
「おまえらこんなことをして何になる!おまえらは諦めたのか?オレは死んでも諦めねえぞ!」
カズさんカッケ~
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