1人目 : DF 市川大祐 (清水エスパルス)→ 1998年のフランスW杯の直前の時期にわずか17才でフル代表に招集されたことで、一躍、国民的なヒーローになった。結局、フランスW杯のときは最終登録メンバーからは外れたが4年後の日韓W杯のときは右WBの主力として活躍。GLの3戦目のチュニジア戦ではMF中田英のゴールをアシストしている。キャリアの中盤以降は怪我に泣かされたが「右SBとしてのポテンシャルは最高クラスだった。」と言える。
2人目 : DF 丹羽竜平 (サガン鳥栖など)→ 横浜FMの下部組織出身。神戸やC大阪や千葉や鹿児島でもプレーしたが最も輝いたのは鳥栖時代になる。主に右SBで起用されたが主力として鳥栖の躍進を支えた。守備のスペシャリストとして知られており、ほぼ毎年、インターセプト数はJ1でトップクラスだった。また、ゴールライン上で相手のシュートを阻止するプレーも得意。「ライン上の魔術師」とも言われた。現在はJ3のSC相模原でプレーしている。
3人目 : DF 中村忠 (ヴェルディ川崎など)→ 黄金期のV川崎で主力として活躍した守備のスペシャリスト。「守備的なポジションであればどこでもこなせるユーティリティー性」が大きなウリだったが右SBでプレーする機会が多かった。堅実な守備が最大の特徴でDF石川康と右SBのポジションを争った。加茂JAPANのときは頻繁にフル代表に招集されており、国際Aマッチは16試合に出場している。顔がよく似ているので「ミニラ」の愛称で親しまれた。