■ C大阪でのラストゲームACLの日程の関係で延期になっていたJ1の第12節のC大阪と川崎Fの試合は7月15日(火)にキンチョウスタジアムで行われた。試合は2対1でアウェーの川崎Fが逆転で勝利して勝ち点「3」を獲得したが、スイスの強豪のバーゼルに移籍することが決まった日本代表のFW柿谷にとってはC大阪での最後の試合となった。試合後にはセレモニーが開催されたが、逆転負けを食らった試合の後に行われたので、ちょっと気まずい雰囲気の中でセレモニーが行われることになった。
C大阪の背番号「8」というのは、チームがJリーグに昇格してからは基本的にずっとMF森島が背負ってきた。フランスW杯と日韓W杯に出場したクラブのレジェンドであるが、2008年限りで現役を引退すると、すでに日本代表にも召集されていたMF香川に受け継がれた。背番号「8」を背負ったMF香川は2009年のJ2で得点王に輝くなど大車輪の活躍を見せてチームのJ1復帰に大きく貢献すると、2010年の途中にドイツのドルトムントに移籍。欧州でのキャリアをスタートさせた。
その後、1年半ほど空き番号になったが、2011年のオフにMF清武が引き継いだ。MF清武も2011年の夏に日本代表に召集されてザックジャパンに定着しており、しかも、アジア予選がスタートしていたロンドン五輪代表チームでは攻撃の中心となってチームを引っ張っていた。彼が3代目となったが、MF清武も2012年の6月にドイツのニュルンベルクに移籍した。その後、半年間は空き番号になったが、2012年のオフにFW柿谷が引き継いで、FW柿谷が「4代目の8番」となった。
■ 記憶に残る3人のラストマッチC大阪で背番号「8」を背負った4人全員がW杯に出場していることもあって、背番号「8」というのは特別な番号になったが、振り返ってみると、初代のMF森島、2代目のMF香川、3代目のMF清武の「ラストマッチ」はいずれも長居スタジアムで生で観戦しているので、それぞれの引退試合(あるいは壮行試合)のことは強い記憶として残っている。
MF森島のときが2008年12月で、
MF香川のときが2010年5月で、
MF清武のときが2012年6月だったが、印象的なセレモニーが行われた。
特にMF森島のラストマッチの試合は印象に残っている。MF香川とFW柿谷の2人を絡めたエピソードが語られるときはほぼ間違いなく組み込まれる「8番の授与式」が行われたのはこのときである。C大阪は2年連続でJ1復帰に失敗したので、「MF香川も移籍することになるだろう。」という報道も流れて、移籍先の候補として地元のヴィッセル神戸の名前が挙がっていたが、MF森島の背番号「8」を引き継ぐことを決意して、J2のC大阪に残留することを選択した。
MF森島にとっての現役最後の試合となった愛媛FC戦は後半のロスタイムに出場機会が巡ってきたが、その時に着ていたユニフォームを試合後にC大阪のゴール裏の前のエリアでMF森島から渡されたMF香川の嬉しそうな表情は今でもよく覚えている。そして、その裏で不貞腐れた表情のFW柿谷の姿というのも記憶している。このあたりのエピソードというのはW杯直前のスポーツ番組などで繰り返し取り上げられたので、詳細について、改めてくどくどと説明する必要はないだろう。